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「忘れる」ことつれづれ

最近、よく忘れる。
あったこと、考えたことを、よく忘れる。

今日もnoteを書こうと思っていて、「今日はこれを書こう!」と、ジャグリング教室の帰り道に思い浮かんで意気揚々としていたテーマを忘れてしまって、
「またか…」
と、自分にがっかりしているのが今だ。


忘れる、というのは、良くも悪くも積み重ねがない。

良い点は、自分の「恥」も忘れてしまい、図々しく生きて行けるところか。
ん?これは良いことなのかしら。

いずれにしても、恥の多い人生、すべて記憶して(あるいは、気にして)生きていたら、神経は持たない。

悪い点は、人生に厚みが生まれないことだ。
経験によって、学習し、成長する。
「忘れる」ことで、そこを支える土台が、どうも覚束なくなる。

人生が「記憶」だとしたら、忘れることは、人生を損ない続けることであることでもある。


忘れる、ということは、どうしても避けられない。

最近、文章を書きたい、という気持ちが高まっていて、これを書いている。
それは、今のこの気持ちを少しでも残しておきたいからなんだろうなぁ、と思う。

そう、どうしてもいつか「今」を忘れてしまうから。

もしかすると、今のこの「書き残したい」という気持ちも、忘れてしまうかもしれないけれども、今、この気持ちがうちに留まっているうちはね。


忘れてしまっていたものも、ふとした時に、浮かび上がってきたりする。

そういう、意識されないものが、自分の形をつくってる気もする。

その浮かび上がってくる記憶が自分の自信になる時もあれば、自分の負い目に思うこともある。

忘れるから生きていける。
そして、奥に沈んだ忘れたものたちがいるから、今を生きている。

嗚呼。


…などと、書いていてぼくはどんよりした気持ちになってきたけれども。
もう少し記憶定かに生活したいものだな、と思う次第です。


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