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#4 監督への道(特別編)

こんにちは!
沼田心之介(ぬまぴー)です。
 
さてさて、前回の記事で、アニメ監督になる方法を書かせていただきましたが、
今回は僕の体験談である
アニメ監督への道のり⑤ 
~初めから監督~(特別編) について掘り下げてみたいなと思います。

前回の中で、個人作家として制作を続け、受賞などしたりして、いきなり監督としてデビューする方も出てきているということを書きました。

そして、僕自身もいきなり監督という立場になったわけですが、全然違うなり方です。

まぁおこがましいですが、自分の事をお話しさせてもらいますと、僕は前職では東北新社という制作会社で音響制作の仕事をしておりました。

音響制作とはアニメでも最終工程になる声優さんがアフレコをして、BGMや効果音をつけて作品を完成させる仕事ですね。
僕の場合は洋画の吹き替えや、字幕版を作る仕事で、その中で、アニメでいう制作進行的な、スケジュールを組んだり、予算を管理したりする仕事をしていました。

音響制作の仕事もこれまた奥が深いので、これはまた別の機会に語りたいと思います。

その会社に7年くらい勤めた頃、今の会社、株式会社トマソンから声がかかりました。

声がかかったなんてカッコいい言い方をしましたが、トマソンの代表は僕のオヤジです。

「うちの会社で昔ばなしが決まったからお前、音響監督やらないか?」

正直迷いました。だってトマソンはいつ傾いてもおかしくない中小企業、かたや業界最大手の上場企業。

僕は正社員だったので、東北新社にいればこのまま安定した人生を歩む事ができる。

でも、いきなり地上波アニメの音響監督ができるなんて機会はあり得ない。

もともとディレクション業に憧れていた僕は散々迷った挙句、将来の自分を想像し、ワクワクする方を選びました。
 
しかし、待っていたのは過酷な日々…

僕が初めて対峙する役者さんは
柄本明さん松金よね子さん

草野球のピッチャーがいきなりメジャーの舞台で投球するようなイメージです。
正直、柄本さんなんて怖いイメージじゃないですか。
いつ恫喝されるんじゃかいかとビクビクしながら、粗相が無いように、不備が無いように、日々作品チェックの毎日でした。

毎週、緊張でアフレコの日はお腹を壊していました。

それでも5年程経ち、だいぶ音響監督の業務にも慣れて落ち着いてきた時、突然当時のアニメ監督が辞めたいと言い出したのです。

会社はパニックです。それから急遽監督候補を探し、誰にしようかと考えていた時。

相談をしていたアニメ監督杉井ギサブローさんが、音響監督の心之介(僕)がアニメ監督もやればいい。あいつならできると社長に言って下さったのです。

そこから僕は音響監督とアニメ監督を務めさせていただく事になったのです。

突然の事でした。
 
そのような道のりで、現在アニメ監督としても活動をさせていただいております。
 
東北新社を辞めるとき、あのときした大きな決断の結果が今です。
これからも一生懸命歩き続け、かつて悩んでいた自分に対し誇れるようになりたいと思っています。

次回は、プロデューサーに関して綴って行きたいと思います。

#アニメ #監督 #お仕事紹介

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