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バリ島で戦死した43名の日本兵士を忘れないで✨

インドネシアに戻り
最初はジョグジャカルタへ行き
今もなお
インドネシアで唯一続く
王室の
王様文化に触れ

バリ島に戻りました☺️
大東亜戦争(第二次世界大戦)が終戦後に
残留兵として1000名近くの日本兵士達が
インドネシアに取り残され

日本がインドネシアを占領する前に
占領していたオランダが

領土を取り戻す為に
インドネシアに再度攻めて来た時に
インドネシアの青年達と共に
インドネシアの独立の為に
一緒に参戦し戦った日本兵士達の
魂が眠る場所の1つの場所へ先日
伺って来れました✨

残留日本兵士から義勇軍として
インドネシア軍と共に対オランダ戦を戦い
インドネシアの独立に貢献された軍神と呼ばれる
故 荒木武友さん(南島原市加津佐町出身)
故 松井久利さん(北九州市出身)
2人に見立てて創られた記念塔。
(バリ島の人達が資金を集めて作ってくださった慰霊碑)
敵を恐れぬ奮闘ぶりから半ば『軍神化』され
今も現地の記念塔に祀られています。



当時の日本兵は、バリの人達に、日本の国策を押しつけたりして、バリの人達に嫌な思いをさせてしまったとして、自害をされた兵士も居ますが、結果的に、インドネシア独立の為に助けに来てくれたという事柄等が讃えられ、バリの人達が資金を集めて作ってくださった慰霊碑になります。


お二人の名前が
日本国籍とインドネシア国籍と
両国籍の名前で
23番と24番に記載されています。

近くに住む現地のお坊さんが
一緒にお祈りや供養を
サポートしてくださいました☺️

バリヒンドゥーの
お供えチャナンとお線香


インドネシアの青年達と共に
インドネシア独立の為に
この独立戦争に
1945年〜1949年の間
79年前に
4年と5ヶ月間
参戦しました。

バリ島に住まれて10年以上になられる
70代の吉井洋司さんが
言葉の壁を乗り越えながらも
現地の人達に当時の事を聞き込み
綴り上げた、実費で出版されたこちらの本。

尊崇

インドネシアの教科書に載っている
当時インドネシアの青年達と共に戦った
日本海軍 前田少尉。

前田少尉
柳川さん
インドネシアでは予言されていたことがありました。
それは、黄色い肌の人(日本人・柳川さん)が
✨助けに来る✨

日本人の皆さんに
知って頂きたい日本海軍兵士の方々の
知られざる功績がぎゅッ✨と詰まった本🪷☺️

私の祖父は大東亜戦争で満州に渡り
負傷を負いながらも無事に青森へ帰還しました。

私の父も自衛官を全うし
実力で成した功績が讃えられ
天皇陛下の叙勲を受けました。

こんなことは
一般に公開するべきことでは
無いのかもしれませんが

私の守護神である
インドネシアの女神
Nyi Roro Kidul(ニャイ・ロロ・キドゥル)は
兵士を連れて馬車の戦車に乗りながら
インドネシア・ジャワ島〜バリ島の南海を
守護している女神でもあり

他にも様々な
インドネシアに関する意味合いを持つ女神が
私をいつも後押ししてくれているようで
今回このnoteに綴っています🪷✨

次期大統領に就任する
現インドネシア国防大臣の
プラボウォ大臣は
軍人の方でもあり

プラボウォ大臣のことを
非常に応援しております☺️🙏🏻

元軍人の祖父や父の背中を見て育って来た私にとって、元軍人のプラボウォ大臣のことは、どことなく親しみを感じてしまいます☺️✨

最近、日本の岸田総理とも対談されたようで
インドネシアと日本、両国間の歴史ある交友文化を更に良いものにして頂けたらと期待してしまいますね✨🌷✨

私です^^;

ここにお祈りして来れたあとは
とてもとても気持ちがスッッキリして✨
重たいものがまた1つ抜けたような
そんな感覚になりました✨

この後すぐ
デンパサールにある仏教寺院へ行き

身と心を整えて
ご報告させて頂きました✨

高野山のお線香を持っているので
このお線香を慰霊碑であげたら良かったなと
後悔しましたが、次は日本の高野山のお線香も持って、現地のお坊さん(マンクー)に相談しながら
また定期的にお祈りして来たいと思います☺️

デンパサールにある仏教寺院の場所は
こちらになります☺️🙏🏻🪷✨

今私は
オンラインから離れた生活を送っているので
noteの更新頻度が遅くなりますが
また伝えて行きたいことを
伝えて行けたらと思っておりますので

たまにご覧ください✨

SNSから離れた人生を歩むことを
決めました🪷✨

まずインスタグラムを閉鎖しますので
完全閉鎖するまでは
お気軽にご覧ください♡😊


サポート代は、 Healingの志事で訪れる旅先の資金や交通費に使わせて頂いております。ありがとうございます。