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旅って高揚するよねと、当たり前だけれどさ

「次は、羽田空港国際線ターミナルです」

時刻は21時半、やたら大きなキャリーケースをゴロゴロと転がすたくさんの人のなかに紛れ込むように、たった33Lのリュックサックひとつを背負って改札を抜ける。

さっきまで手元にある仕事のことで頭がいっぱいだったはずなのに、そんな慌てた頭のなかとは裏腹な、ゆるやかで自由な雰囲気が足元からぐるりとわたしを包み込んだ。


たったの4日、月はおろか、週すら変わることのないほどの短い短い旅。それでも、空港に足を踏み入れた瞬間に感じたなんともいえない高揚感は、その小さな旅の存在感をたしかに示していた。

あのとき抱いたことばにはならない感情の数々は、不安でもない、楽しみでもない……正確にはほんのちょっとのこわさと、同じくらい少しの期待、とでもいうのだろうか。


「生きて帰ってこいよ!」と冗談交じりに見送ってくれた仕事仲間に「そんなに大層な旅じゃないでしょう」と笑い返して、空港へ向かう。大層な旅ではないことは間違っていないだろうけれど、心がキュッと締め付けられたのもまた、うそではなかった。

さいわい今回はひとりぼっちではないけれど、それでも心のなかの不安がすべて拭えるわけでは決してなかった。

「荷物、それだけ?」と聞かれがちな、33Lのリュックサックのなかには、必要最低限の仕事道具と、お気に入りのワンピースとを詰め込んで。

荷物の軽さが、気持ちとフットワークを軽くしてくれることを、わたしはこれまでの経験で知っているから。不安な気持ちも、こわいきもちも、楽しい気持ちも、ぜんぶぜんぶ一緒に詰め込んで、飛行機に持ち込んでしまえばいい。


この機内に、同じような気持ちを抱える人はいったいどれだけいるだろうか。着陸態勢に入った機内の窓からは、暗闇に光る街の様子がちらちらと見えた。

残念なことに、右の窓からも左の窓から一番遠い席だったから、それはそれは本当に“ちらちらと”だったけれど。


空を飛行機でばびゅんと、何時間か飛べば、知らない国の知らない街に着く。そんな当たり前のことですら、ただ率直に「すごい」と感じさせる強さが、旅にはあるのだと思う。

「知りたい」「見たい」「行きたい」
そんな、まるで子どものような感覚ひとつだけで私たちはどこにでも行ける。そして、その自由さとうれしさは、旅に出るたび新しい景色を見せてくれる。



「この飛行機は、ただいまクアラルンプール国際空港に到着いたしました。現地時刻は〜」

事実が並んだアナウンスだけで、心は十分高鳴ってくれる。また、わたしが知らないわたしの新しい感情と出会う日がやってきたみたいだ。

わたしは、ギリギリ検査を通過した6.9kgのリュックサックを背負って、飛行機からそろりと一歩を踏み出した。


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