こころに川を。

こころに川を/6月の散歩の回想

こころのなかに、川が流れている。

そのように感じたのは最近のことで、地元の小さな川沿いを歩いているときだった。
こころの中の川をのぞきこむと、そこには、流れ着いた小石やそのとき出会えた命たちが
いて、その小石を拾い上げしばし眺めていると、その小石の大いなる歴史、とはいえないけ
ど、ここまで流れ着いてくる前の姿みたいなのを感じることができる。
これはあくまでも比喩であって、川はおそらく時の流れ、もしくは感情の移り変わり、生
きてきたことそのすべて、小石は今目の前にある感覚や感情のようなもので、今この感情を
大事に見つめることが、未来の感情につながるし、過去の感情の繋がりを見つめることにも
なる。

六月の暑い日に、カニエナハさんと、その地元の川沿いを散歩した。
川は私達が直接入る事を拒み、やさしげな水音とともに流れ続けていて、その音は鳴りや
むことがなく、(先日、ある人が「音は残るんだって」と言った。絵とか、紙とかはいつか
消えちゃうけど、音は宇宙の果てまで飛んで、ただよって残るんだと。それはよかった、と
思った。)私達は心地よい音にくるまれながらひたすら生える花たちや、一瞬で横切るカワ
セミ、カモの子たち、川に逆流しようとがんばる魚などを見つめた。
カニエさんは、落ちている木や花弁たちを拾った。
とても暑くて、拾うのが億劫だったらしく「上におちれてばいいのに」と言った。「地球に
は重力があるから、命なきものは下に落ちるんだねえ・・・・」と当たり前のことを私は言っ
た。 そうだった、命あるものは流れ続け、上がりつづけ、伸び続け、動き続けるんだった。
そうして見上げた先には何てことのない葉っぱたちが上を向いて生えていた。感情が動く
のを感じる。そういう時に、詩が生まれる。言葉がこぼれる。絵を描きたくなる。
アトリエに無造作に落ちている、過去にかいた言葉たち。かつての私が残し、川の流れに
のって、また目の前に流れ着いたものたち。それを拾い上げまた見つめる。
感情が動いたら、こぼして残してだいたい忘れて、ある時また現れて、見つめる。
その行為は、私が今生きていることへの肯定であるし、過去の私への肯定で、出会えた感情
(それが悲しみでも、怒りでも)への肯定で、祈りよりは儚く、願いよりも当たり前で、言
葉にするなら「そうだったんだね、うん」とかそういうレベルの肯定で、
でもそれが、今をただ大事に生きることなんだと思う。

言葉を落とすときは、なるべく正直でいたいけど、ありのままを言葉や絵にすることは本
当に難しい。正直も嘘も、どちらも本当な気もするし、時間がたたないとわからないことが
多すぎる。

カニエさんと散歩したとき、とにかく暑すぎて、途中市民センターに入って休んだ。自販
機でスポーツドリンクを買い、洗面所で頭から水をかぶって、靴と靴下をぬいで、だいぶや
ばい風貌で休んだ。「すずしいね!」と二人で言って、くすくす笑った。
今、あの日のことを思い出すとき、一番に思い出すのが、あの会話。
二人とも異様に無防備で、暑くてきついのに、無理しちゃって、そういう感じが、すごく良
い気がした。あの時確かに川がながれ、また新しい何かが流れていくのを、見た。
そうだ。
私は、母が生まれ育ち、私自身が小さなころ祖父母と両親と住んだ町に、今住んでいる。
神奈川の南の方の田舎で、全然開発されていず、おばあちゃんと母が通った商店街がまだあ
って、川のすぐ近くには今までの身内の葬儀をした小さな葬儀屋もある。今は亡き家族たち、
皆でたべた中華やさんも。
この町を、カニエさんと歩きたかった。ここに私が、数々の悲しい記憶や懐かしい会話と共
に今も生きている事を伝えたかったんだ。それがカニエさんの川にながれ、言葉として落ち
た時、どうなるのか見たかったんだ。
カニエさんと散歩した日からも毎日市民センターの前をとおり、道に背中を向けている
自販機をたたき、ちょっとだけあの滑稽な昼下がりを思い出して笑う。
あのとき拾った木があった道に、変なでかい虫がいて、思わず全力で走って逃げた。同じ子
かわからない鶯が、大きな声で今日も鳴いて、たんぼの背はまた一回りのび、アジサイは茶
色く色づき、葉っぱはいまだにもじゃもじゃしてる。

これから秋がきて、冬がきて、景色は全然かわり、そしてまた六月がきたころ、一年後の
私はきっと、一年前、つまり今の私を思い出すのだろう。今描いている絵を見返すのだろう。
それはおそらく川の流れで少し形を変えていて、それを見て、「そうだったんだねえ」とい
うのだろう。

どんな感情も、どんな自分も流れていく。今の連続が流れていく。
そんな川が、こころにある。そして多分、みんなにある。
いつか川が枯れて、水が消え、私が消え、私の残したものたちはどこかで転がって、きっと
見知らぬ誰かに拾われるのだろう。それが小さな希望で、
だから今は、なるべく正直に、今描くべき絵を描いて、今こぼせる言葉をこぼす。


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