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箱根より

箱根の古い旅館の一室からこの手紙を書いています。広縁、っていうんでしたっけ?窓際にある椅子とテーブルが置かれた「あのスペース」ってやつです。女ひとりの宿泊客って昔だと心配されたって聞くけれど、今はそうでもないみたい。なんだか拍子抜けです。ホテルだとウェルカムフルーツとかなんでしょうけど、テーブルの上に置いてあった和菓子とお茶を飲んでいます。我ながら渋いとは思いますが、甘いものは美味しいし、お茶を飲むとホッとします。日本人でよかった、なんて思ったりして。

窓の外を見るとかなり激しく雨が降っています。少しだけ窓を開けていたのだけど、あまりに雨音がうるさいので閉めました。ここは川が近く、雨が降ると水量が増えて川からも結構な音がします。雨の箱根ってばかみたいです。どこにも行けないので、こうして部屋にいるしかありません。箱根登山鉄道で彫刻の森美術館に行こうと思っていたのに、電車が止まってしまっています。彫刻の森は行ってみたかったのでとても残念です。でも、しょうがないですね。あそこは屋外に展示してあるものがほとんどですから。もちろん芦ノ湖のロープウェイも軒並み運休です。

昨日の夜にチェックインしました。でも宿が和風で古いのでチェックインという言葉はなんだか似つかわしくないです。町田からロマンスカーに乗って、箱根湯本まで小一時間で着きました。町田、知ってますか?リス園があるところです。町田駅からはバスで結構かかるのですが、リスの餌を買って軍手をして餌やりができます。でも、前に行ったときは時間が遅かったのでリスはあまり餌を食べてくれませんでした。あとでネットで調べたら、朝一番に行かないと他のお客さんがあげた餌でリスがお腹いっぱいになっちゃうみたいです。よっぽど早起きしないと厳しいみたい。低血圧の自分にはリスの餌やりは向いていないのかもしれません。

話がずいぶん逸れてしまいました。私はいつも何か一つの話をしていると、知らないうちに別の場所にずんずん進んでしまって戻れなくなるみたいです。なんの話でしたっけ?…そうそう、ロマンスカーです。町田から箱根湯本に着き、雨が降っていたのでそこからタクシーに乗ってこの宿まで来たんです。タクシー乗り場は駅前のロータリーにあるんですが、台数が少ないのか、なかなかタクシーが来なくてけっこう待ってしまいました。私は待つのが大嫌いです。スーパーのレジに並ぶときも、自分の並んだレジよりも隣が早く進んだりするとイライラします。あれ、なんとかならないものですかね?不公平だと思うんです。こちらは全然悪くないのに、カード払いでモタモタする人とか、支払いする段階になって買い忘れたものに気づいて一品だけ取りに行くとか、ちょっと神経を疑います。後ろでこうして待っているのに、わざとやっているんじゃないかと思うくらいです。あまりにそんなことが続くので、こないだなんか前の人の肩を掴んで声を掛けたら、おばさんでしたが、すごくびっくりした顔をして逃げて行きました。穏やかに話しかけただけなのに、反応が激しいのでこっちがびっくりしちゃいました。でも順番が一つ繰り上がったので、その分早く精算できたのでいいんですけど。…なんの話でしたっけ?

というわけで私は今、箱根の旅館であなたに向けた手紙を書いています。でもどれだけ書いても、あなたがこれを読むことはないと思うと少しだけ悲しい気持ちになります。そろそろこのとりとめのない手紙を終わらせましょう。いろいろ考えましたが、私は自首することにしました。私があなたを殺したとき、すぐに私も一緒に行くと言いましたが、うまくできませんでした。やってみると死ぬのってなかなか難しいんです。あなたを埋めてしまったあと(手にマメができてしまって大変でした。慣れないことはするもんじゃないです。でもこんなことを慣れている人なんているのでしょうか?)、しばらく考えていましたが、ちょっとした旅に出ることにしました。傷心旅行というやつです。スマホで旅行サイトから検索して、この宿を見つけました。古びてはいるけれど、とても風情があって素敵です。あなたと一緒に来れたらどんなによかったろうと思っているところです。

さっきまで窓を叩いていた雨粒の音が静かになったと思ったら、いつの間にか雨が止んでいました。窓を少し開けて、ひんやりした外の風を部屋に入れてみました。鳥の鳴き声も聞こえています。雲の間から光が射して、本当に生きてるって感じです。自然の呼吸が聞こえるようです。さっきまでの雨音がない代わりに、水かさの増えた川がゴウゴウと音を立てています。音だけ聞いていると雨の音か川の音か区別がつかないほどです。遠くの山はまだ少しけぶるようにモヤが掛かって綺麗です。見れてよかった、これが私のイメージに近い箱根です。

宿は明日の午前中までいられる予定なので、このままもう一泊してから帰ろうと思います。ここの朝食はバイキングで、なかなかの品揃えなんです。でも一人で朝食バイキングに行くのってなかなかハードルが高いと思いませんか?

やぶさかではありません!