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新ジャンルは侮蔑をもって迎えられる。

例えば「小説」という言葉があります。今ではそれなりに知的な印象を持って迎えられるジャンルですが、漢書を起源とする「小説」という言葉は、「取るに足らないもの」「価値のないもの」という侮蔑的な意味からはじまっています。

かように、新しいものはしばしば侮蔑をもって迎えられるようです。それは、まさに名づけをする側の人間たちが、その時点でのマジョリティ、つまり旧価値観側に属しているという構造があるからでしょう。彼らにとってみれば新しい潮流などというものは、「低俗な流行りもの」に過ぎないものであり、またそうでなければならない。

しかし、そんな「低俗な流行りもの」は、時代が移り変わるにしたがって確固たる地位を獲得する。「新ジャンル」の誕生です。

もともと侮蔑語から生まれた名前は「様式」に顕著です。いくつか挙げてみましょう。

ゴシック(Gothic)

僕はデザイナー職なので、「ゴシック」と聞くとまず書体を思い浮かべます。ゴシック体とは縦横の太さが比較的に均等であり、総じて骨太な印象を与える書体。そもそも「ゴシック」とは(wikipediaによると)、西ヨーロッパの12世紀後半から15世紀にかけての建築や美術一般を示す用語であるらしく、そしてゴシックもまた侮蔑語であったようです。15世紀~16世紀のルネサンス期イタリアの人文主義者たちが、混乱や無秩序が支配する野蛮な様式だとして「ゴート族(ゲルマン族)の様式」、つまり「ゴシック様式」だと言い表したのでした。文脈としては、主流だったギリシャ・ローマ文化に対し、高貴なイタリア人たちがゲルマンの人々をちょっと見下している感じですね。つまりゲルマン族は田舎者とみなされていた。

バロック(baroque)

バロックという言葉は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のbarrocoから来ているらしいです。これもまた侮蔑的なニュアンスを含んでいる言葉。不完全、いびつ、異常、奇妙、グロテスク、不規則…。しかしこれらが肯定的な意味合いを帯びたとき、複雑、個性的といった評価になるのです。そう言えば黒川紀章が若尾文子を、「君の美しさはバロックの美しさ」とか言って口説いた、という話が残っていますな。

ロココ(rococo)

曲線を多用する繊細で優美なスタイル。語源は岩を意味するロカイユ(rocaille)であり、自然的な造形。たしかに植物を模したようなフォルムが特徴的。独立した様式というよりは後期バロックの一部とも言われますが、まあ正確な定義はインターネットにいくらでも落ちているので、そちらを見ていただくとして、個人的にはやはりロココと言えばブルボン王家ですね。つまりはお菓子を食べろ的なあれですね。

印象派

美術の世界では一つのジャンルとして完全に確立されている印象派。実はこの印象派という名称も、元は蔑称から始まっています。最初はクロード・モネの『印象・日の出』という絵について当時の批評家が新聞にこう書いたのが始まり。
印象か。確かに私もそう思った。私も印象を受けたんだから。その印象が描かれているというわけだな。だが、何という放漫、何といういい加減さだ!この海の絵よりも作りかけの壁紙の方が、まだよく出来ているくらいだ。(ルイ・ルロワ)
ちょっとピンとこない言い回しかもしれないですが、要はディスってるわけですね。記事のタイトルも『印象派の展覧会』というもので、嘲笑の意味が込められていた。「印象に過ぎない」の「印象」ですね。
当時、権威を誇った旧態依然としたサロンへのカウンターとして登場した形の「印象派」というムーブメントですが、結果、時代を味方につけていきます。カミーユ・ピサロ、ドガ、シスレー、セザンヌ、モネ、ルノワールあたりが中心人物。広義では、ゴーギャンやゴッホ、そして点描という振り切った手法を駆使したスーラあたりまでを含むようです。

パンク(punk)

パンクは「不良、青二才、チンピラ、役立たずなどを表す俗語」だそうで、いわゆるスラング由来のようです。パンクというのは音楽、ファッション、アートなどそれぞれのシーンに登場する言葉で、なかなか広範なイデオロギー的な使われ方をするような印象。いろんな定義がありますが、「不満や怒りを過激に破滅的に表現するさま」という感じでしょうか。既成概念に対する懐疑的な態度。いざとなったら何もかもダメになったって構うもんか、というくらいの強い覚悟と怒り。まあ怒りはなくてもいいんですけど、そういう強さがある印象ですね。

ガラケー

ガラパゴスケータイ。略してガラケー。外部と隔離されたゆえに独自の進化を遂げた生態系の存在するガラパゴス諸島になぞらえ、世界的に独自の進化を遂げた日本の携帯電話に対して与えられた呼称。だそうですが、あまり好きではない言い方ながら、僕自身、確かに「ガラケー」という言い方をすることはあります。便利というか、一般名詞としての「携帯」がスマホを含んでしまうため、ガラケーという言い方をすると何を指すのかが明確になるんですね。多分そういう言葉としてジャンクな、パッと聞いただけではよく分からないけど響きはキャッチー、という用語って定着しやすい要素があると思う。意味がわからないからこそ使いやすい言葉ってあります。

ラノベ

また、冒頭で書いた「小説」に似たものとして「ラノベ」があります。ラノベは「ライトノベル」の略称ですが、ネガティブではないものの「ライト=軽い」という言葉遣いは、上記の「つまらないもの」に少し似ています。ノベル(小説)と同じ棚に並べるには抵抗があるというか、ライト層に向けられたものとして本格さに少々欠けるというか。
ただし一説によるとラノベという言葉の初出は70年代、文芸評論家の篠田一士が「(三島由紀夫の)『夜会服』のような小説をライト・ノヴェルと呼んでみたらどうだろうかライト・ノヴェル、つまり軽い小説ということだが、もちろん、軽小、軽薄のそれではなくて、軽快、軽捷の軽である」としています。なのですが、これは結果的にライトノベルという言葉自体が記録に残っているというだけで、今日のラノベとは用途も意味も違うように感じます。軽小ではなく…というエクスキューズも、三島由紀夫という大家に向けた一種の忖度のように見えますし。

長くなったのでそろそろにしましょう。

かように、ひとつのジャンルの名前として定着してるものですら、もともとは侮蔑的ニュアンスの言葉であったことが多い。面白いのは、そういったネガティブな意味だからとて、ジャンルとして独り立ちした後もその名を使い続けること。もちろん言葉の善し悪しで名前がつけられるというわけではないのですが、立派になった人が幼い時の渾名をそのまま使い続けるようで、こういうのはけっこう興味深いと思います。ブラジル人サッカー選手などに多いケース。例えば「ジーコ」が「やせっぽち」という意味だったりね。

(2018年5月24日の記事に、2023年9月29日加筆しました)

やぶさかではありません!