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勤労感謝の日に思う

祝日だった。勤労感謝の日だ。

「勤労感謝」なんて言われると「はあ」という感じだが、その由来は農作物の収穫を祝う「新嘗祭」である。個人的には勤労感謝の日よりも新嘗祭の方が好きな響きだ。

近年、労働環境はずいぶんと改善された。昔の働き方はもっとブラックだった気がする。ブラックという言葉自体は使いやすくて便利だが、要するに過酷だった。寿命を削るような働き方が普通に行われていた。

労働環境がホワイト化した分水嶺はどこだっただろう?私は広告業界にいるのだが、電通のパワハラ自殺事件が一つの大きな契機になったのは確かだ。調べたらあの「事件」は2015年だった。もう8年ほど前だ。もちろん世の会社が一斉に切り替わるようなことではないから、時間差はあるにせよ、確かにその頃から色々と業界が変化しだしたような実感がある。

例えば1週間ずっと家に帰らず会社に泊まり込んで、週末だけ少し帰ってまた1週間泊まり込むだの、例えばほとんど寝ずに3日間徹夜で仕事し続けるだの、例えば24時間食事を取らずに仕事をし続けていただの…。今思うと奴隷労働もかくやという働き方をしていた時期がある。

とても人には薦められない。やらせたいとも思わない。

育休はもちろん、有休の概念もほぼなかった。いや、世の中の会社にはあったはずなのだが、私が当時職場としていた小さな制作会社には、そのような社員の正当な権利が行使されづらい空気が厳然と横たわっていた。「お先に失礼します」と社長に挨拶に行くと、「お疲れさま」と言葉では言ってもらえるが目は睨んでいる、なんてことは頻繁だった。明らかに「もう帰るのか」というノンヴァーバルな主張があった。

また、子どもが生まれたと取引先に報告したところ、ありがたいことに先方の皆さんからお祝いの寄せ書きと、「ご祝儀」として仕事が殺到したこともある。引き継ぎできる体制の会社であれば、それらも純粋な「ご祝儀」として受け取れるのだが、小さい会社というのはこういう時に実に無力で、自分の仕事を代わりにやってくれる人などどこにもいなかったのだ。だから子どもが生まれた直後の私はなおさら家に帰れなくなった。今であれば、父親も育休を取得して子育てをシェアすべきと言われる時期である。それなのに帰れないということが、家庭内でどういう状況を引き起こすかはおわかりいただけるだろう。

これらはそんなに昔の話ではなく、たった15年から20年ほど前の話である。

だが、世の中の認識もずいぶん変わってきた。父親の育休取得もメジャーだし、有休消化は法制度によって義務化された。夜討ち朝駆けの広告代理店は深夜のメールすら禁止となり、そこから仕事を受ける立場の我々の労働時間もそれに合わせて健全化した。

もちろん例外はあるだろう。会社によっては相変わらず過酷でイリーガルな環境だという人もいるかもしれない。だが、少しずつだとしても以前より世界は野蛮ではない方向に進んでいる。

しかもコロナ禍以降、在宅仕事が一般化した。これはとても羨ましいことだ。もちろん家にいることで子どもから目が離せず仕事にならない…といった別の苦労はあるだろうが、とりあえず家に帰れないことでの完全ワンオペ化を防ぐことが可能になる。それはとても大きいことだと思う。だから私は、最近子どもが生まれて在宅で子育てをしているという話を聞くと羨ましいと思ってしまう。

今、自分より少し若い社員らと話すと、上記のような野蛮な世界を知らないことに少し驚く。知らないというか、そういう世界があることは昔話として知っているだけという感じである。もちろんそれでいいとは思う。昔の自分がやってきたような奴隷労働を誰もがすべき、とはまったく思わない。

ただ一方で、そんな「死線」を潜り抜けたことで、ある種の精神的タフさを身につけたというのは事実で、どんな状況であっても「何とかなる」と思うことができる。経験が自分を支える裏付けになっているのである。だから、若い彼らの話す「許容できる・できないのライン」について聞くたび、贅沢な話だと思うとともに、どうしても「護られた世界の人」だなあと感じざるを得ない。

しかし繰り返すが、それでいいのだ。過酷でなければ仕事じゃない、なんてことはない。私だってもっと昔の人から見たら「改善された業界」にいるのかもしれない。そしてそれはおそらくその通りなのだ。

新しい人ほど良い世界に住んでいる。それでいい。その事実が「世界は良くなっている」ということの証左になるのだ。

やぶさかではありません!