子どもがいるとファッションは終わる?
ちょっとしたお出かけ用の服。という名目のもとに買った洋服たち。モヘアのセーター。ヒラヒラしたスカート。キラキラしたサンダル。凝ったチェーンのネックレス。長いピアス。
子どもができると、それより「公園に行ってもOKな服」「濡れても平気な服」の重要度がぐっと増した。コットンのTシャツ(洗える)。アディダスのスニーカー(多少の雨でも平気)。ジーンズ(どこでも座れる)。長靴。手を塞がないカバン。
モヘアのセーター(子どもがむしる、そして食べられる。)。ヒラヒラしたスカート(めくる。中に入る。)。キラキラしたサンダル(抱っこしてこける)。チェーンのネックレス。(引きちぎられる。口に入れられる。)…
もちろんvery的な、『ママでもおしゃれ』に心が惹かれなかった訳ではないけど。洋服のことを気にして本気で遊べない自分より、そのことを気にせずガツガツ遊ぶ自分の方が好きだった。貧乏症だから、きれいな服を汚したくなく出し惜しみしたというのはもちろんある。
きれいな服がもったいなくて着れない…となっているうちに、服の賞味期限が切れた。というか、似合わなくなっていた。そして、肌の色(白かったけど、日焼けした)とか髪の色(茶色→黒)の変更によって、似合うものも変わった。
男性だって、10年前のズボンと今のズボンは微妙に違う。微妙に裾が広がっていたりしなかったりするし。顔だって変わるから、似合うものが変わるのは当然だ。
いいものは10年使えるというのは、アクセサリーだけだと思う。服は難しい。20代と40代ではどんなに頑張っても体型変わるし、顔も変わる。あ、コートは大丈夫なのかな、バーバリーとか?。
だからといって、子どもがいることで選択肢が狭まった。とかそういう訳ではなく。むしろ、選択肢を広げてもらったと思っている。
子どもがいなかったら、屋外用の服(レインジャケットの優秀さ)とかジャージ的なものに目を向けること、その便利さに気づくこともなかった。ジーンズの実用性に気づかなかっただろうし、きれいな服を着てお出かけすることのレア感・高揚感も高まった。
実家(広島)で引きこもりのような生活をしていると、きれいな服を着て行く・行きたいとこってないなーとつくづく思った。私の周りで「きれいな服」より「丁寧な服」のほうが目につくのは、女性が家にいる比重が高いからなんだろうなとか思った。東京とか違うのかな。知らんけど。
何が言いたかったかというと、そろそろ秋冬の服が欲しいなということでした。トリノは秋が短いんですよ。。。
去年の10月初めのトリノ。冬服の中に、たまに半袖の人がいるのが外国っぽいなとおもう。
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