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本)ごはんのことばかり100話とちょっと とちょっとちょっと

いつも楽しみにしているスイスイさんがこんなnoteを書かれていた。

これを読んで、よしもとばななさんの「ごはんのことばかり100話とちょっと」という本の一説を思い出した。

「最近の風潮として、なんでもかんでもていねいにやるというのがある。もはや、そうしなくてはいけないと思っている人まで出てきたのにはびっくりした。最近の若い人のまじめさは、胸打たれると同時に少しだけ心配なところもある。」

から始まって、

「『昔に戻るということは、女性として単に昔のように不自由になることだ』ということが、すっぽり抜けている。」とあって。この続きはできれば本を読んで欲しい。

この本を読んで、すとんと落ちるところがあった。

この本が出たのは2009年の12月。その頃の私の状況。上の子2歳。話は通じず、要求ハンパない。下の子1歳未満の赤ちゃん。イタリア暮らしにも慣れず、一人で出かける気にもならない。マタニティブルーも入っていた。

専業主婦になった自分も、異国で凹んで馴染めない自分も、何もかもが肯定できずにいた。もっと色々楽しい生活を想像していたのに、そうならなかったからだろう。と、今なら思う。

友達もない、仕事もない、(夫はいるけど)家族もいない。夫の家族はとても優しいが、言葉は全く通じない。オラこんな村いやだ〜と歌ったところで、東京でベコも飼えねぇ。ネガティヴ・ネガティヴ。

それでも、なんとかしないとマズイとは思っていた。

そんな時に、「丁寧な暮らし」にはまった。何もできない自分だけど、丁寧な暮らしはできる!となったのだ。熱しやすく冷めやすいが、私はハマるとかなりやる方だ。

イタリアのタイルのアパートの床を雑巾掛けする。ご飯はもちろん土鍋で炊く。布オムツ。天然酵母を起こしてパンを焼く。読み聞かせ。ヨガ。ベビーマッサージ。あと、子どもの肌がちょっと弱かったりもしたら、食事も洗濯もいろいろ気をつけた。まだまだあるけど、暮らし系の雑誌に載っているようなことは大体やった。時間だけはあったから。

これは、別に丁寧に暮らしを悪く言いたいのではないことをわかって欲しい。ただただ、私の自信の無さや精神的にも物理的にも外に向かえない状況が、家の中だけは…となったのだ。俺の国。せめて俺の国の中だけはちゃんとしていようという。よくわからないプライド。のようなもの。

ちゃんとってなんだよ…。赤ちゃんいる時点で、家政婦かベビーシッターかおばあちゃんでもいないと無理じゃん…と今なら思う。家事に手間ひまをかけ始めると本当に1日が家事で終わる。キリがないのだ。家事で心も充実できる人はもちろんそれでいい。だけど、私にはその毎日は無理があった。だって、やりたいことでも必要なことでもなかったから。

で、まあそんな手のかかった生活をしばらくしていたのです。

しかし、元々そういう生活がしたくてやっていた訳ではなく、「やることがなかったから、やっていたらはまった」という私には、段々それが負担に。「どうして、私はこんなに頑張っているのに!!」と夫にブツブツ言うようになっていった。丁寧の強要。頼まれてもいないのに。実に面倒くさいですね。

で、そんなころに最初の吉本ばななさんの本を読んだ。

理由のない、必然のない努力は空しい。」本当に目からウロコがポロポロ落ちた。

もちろん、この本を読んだからといって「やーめた。今日から毎日ピッツアでよし。掃除もしない!」となった訳ではなく。それからも今に至るまで、ずっと丁寧にしている部分もある。ただ、炊飯器は買った。家に帰ったらご飯が炊けているのサイコー。タイマーサイコー。お米を炊くのに、炊飯器はマストで土鍋はホビー。今の私の選択だ。もちろん、また土鍋に戻る日もくるかもしれない。ただ、今はこれ。

ただ、それまでが本当に手を抜いた生活をしていたから、丁寧な生活を通過した事で学んだ事はたくさんある。自分でもそこそこのご飯も作れるようになったし。そういう丁寧な生活の美しさも知った。あと、そういう生活をチラ見せしてお金を稼ぐ方法もあるんだなとか。(ゲス)

ただ、やってもやらなくてもいいという遊びがなかったんですよ。余裕がなくて。今でもないけど、

という訳で、吉本ばななさんの「ごはんのとこばかり100話とちょっと」おすすめです。

一話一話が短いので、ちょっとずつ読めるとこもナイス。お風呂で読みすぎて外側もボロボロだけど、捨てられない本なのです。

おわり

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