運び屋をやった話

いまどき、「私だけかもしれないレア体験」なんてそうそうないんじゃない?

あたしはまぁまぁいろいろ経験してるほうだと思うけれど、それでもその分野のひとたちからすると「お前なんか大したことないわ!」「わたし/俺のほうがもっとすごい経験しとるわ!」と言われそうだ。

それでもそこそこレアな体験かな?
と思うのは、学生時代に京都の花街で、現役の芸妓さんがやってたスナックでバイトしたことかなあ。スナックといっても明るい灯の下、座敷の漆塗りのカウンターのこちら側とあちら側、お客さんとは隔てられてるし、お客さんは筋のちゃんとした上品なひとばかりで非常に健全なバイトだった。
コンパニオンとかは経験したってひと多いかもしれないけど、当時は現役の芸妓さんがスナックとか珍しかったし、それに学生でバイトってのはなかなかない経験だと思う。花街にはいった身でなくてその世界をのぞくという、とても貴重な体験をさせてもらったとともに、若い頃のバカな自分の言動を許してくれていたいまは亡きママさんのことを思い出しては、いまでも恥ずかしく思う。

あとひとつ、レアな体験かもと思うのは人の子を預かって運んだこと。
昭和の中頃までは日本でもそこまで珍しくなかったのかもしれないけど。

ロシア人と結婚して、彼との子ども3歳とあたしの連れ子7歳とはじめてのロシア行のとき。
知人のナタリアが、4歳のエカテリーナを連れていってくれと言う。

ナタリアは博士課程に留学する旦那さんに帯同して日本に来たのだけれど、旦那さんがナタリアと子どもを捨ててアメリカに行ってしまった。
幼い子供を抱えて日本で生きていくのは(日本で生活したかったらしい)難しいということで、ロシアにいる実母に預けることにした。ついては近々ロシアに行くわたしたちに、カーチャ(エカテリーナの愛称)も一緒に連れていってほしい、と。

正直あたしの感想は「え゛、、、」だったけど、夫は気軽に「OK」、こういうのはロシアでは普通だと。
出発が朝早いからと、前日から預けるためにナタリアはカーチャを連れてきて、カーチャはさっさとあたしの子どもたちと遊び始めた。ナタリアは娘との別れを惜しむでもなく、あたしの夫とえんえんしゃべった挙句、「じゃあね、カーチャ」。カーチャも「バイバイ、ママ」てなもんで、ビックリしたね。

翌日は朝から大荷物に小さい子ども3人連れて(そのうちひとりは他人の子だ)、当時アエロフロートは成田からしか出ていなかったので京都から東京へ新幹線、それから成田エキスプレスで移動というのはかなり大変だった。

それでもなんとか飛行機のシートに落ち着いて、
「ところで、迎えに来る親族の連絡先知ってるよね?」
と夫にいちお、訊いてみたら
(スマホどころか、携帯も普及してない時代です)
「いや、知らない」
「え゛、、、もし空港であえなかったらどうするの」
「僕たちが育てるしかないね」

ロシア人が適当なのは知っていたけど、ここまでとわ。。。

とひとりでヒヤヒヤしていたのだけれど、
いざモスクワのシェレメチボ空港に到着し、迎えのひとがわらわらと並んでいるのを通り過ぎようとしていたら、そのうちのひとりが「セルゲイ?」と声をかけてきたので夫に「いま、声かけられたんじゃない?」ととっととむこうに行こうとしている夫を呼び止めたらドンピシャ、シベリアのほうからわざわざこのためにやってきたカーチャのおばあちゃんとおじさんだった。

無事引き渡せてホッとしましたわ。

もうあれから20年以上。
カーチャは元気にしてるかね?

#私だけかもしれないレア体験

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