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「マッサゲタイの戦女王」刊行記念エッセイ 第九回 ペルシア式騎士道

ーー『騎士道』の源流はペルシアにありーー
とは、イランの歴史学者が主張していることだけども。
実は根も葉も根拠もない主張ではない。

『騎士道:chivalry』そのものは、中世ヨーロッパで規範化、確立されたものですが、イランの歴史家に言わせると『騎士道』の起源はペルシアなのだそうだ。

もっとも、ペルシア帝国の征服民族というのは、セレウコス朝を除いて騎馬民族が母体なので、一般人でも馬に乗れて当たり前。
男子は馬を所有していて一人前。

ギリシアやメソポタミアの農耕民などから挑発した歩兵もいるけど、軍隊の主力は騎兵隊。生産階級である遊牧民は、帝国支配層にとっては牧民であると同時に、騎兵の供給源でもあった。

だから『騎士』が、生産階級の上に立つ搾取階級でもあった中世ヨーロッパとは、かなり事情が違う。

『騎士道』に該当するペルシア語は『ジャヴァンマルアディ』
言語の意味そのものは英訳されたもので『young manliness』
日本語で一番近い単語は……『男らしさ』?

『騎士道』というよりは『一般道徳』に近いもののようだ。
社会に責任をもつ男子として、主君に忠誠を尽くせとか、嘘をつくなとか、親に逆らうなとか、女子どもには優しくしなさいとか、信仰にそむくなとか。

そんなわりと普通の常識的範囲のことだったらしい。

11世紀にイランの詩人によって書かれた、紀元前後のパルティア王朝が舞台の恋愛喜劇『ヴィースとラーミン』ではラーミンが、はなればなれになるヴィースに愛を誓いを立てるときに「君への誓いを守りとおすことを、ボクの騎士道精神にかけて云々」というくだりがある。

ラーミンは軽~くさくっと忘れてしまうけど。

ヨーロッパの騎士道は、当時、武器や鎧を独占し、荘園管理で私服を肥やしていたヨーロッパ騎士の、領民への搾取と虐待、主君への反逆と裏切、騎士同士での諍いを抑制するために作り出された倫理規範だ。

社会的な構造や宗教・道徳観がまったく違うのだから、馬に乗って戦う職業の人間が理想としていた行動規範の起源がどこから来たのかってのは論争の意味を感じないけども。

まあでも、規範に禁止事項が多いということは、それだけやっちゃいけないことをやるアカン隊に手を焼いていたんでしょうねぇ。

「マッサゲタイの戦女王」発売カウントダウンです。

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