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違和感を放置しない

こんばんは🌙
またMBさんのvoicyの内容は、2日前に「自分の全てを受け入れよう」と言うタイトルでブログを書いたばかりだったので驚きました。
昨日読んだMBさん推薦著書「やり抜く人の9つの習慣」にも同じようなことが書いてありました。
2日前にここに自分が今思っていることを正直に書いたのですが、実は今朝まで引きずっていました。
でも今日のMBさんのvoicyを聴いてその原因がわかりました。

違和感には気付けたけれど「なぜその気持ちが生まれたのか?」を深ぼっていなかった=結局、違和感を放置していた

これが原因でした。

嫌だなという感情の中心にいると「嫌だな」ということしか考えられなくなる。嫌だな嫌だな、と思ってばかりいると、そのことばかり頭にいって、次の対策だったり計画だったり、改善策が出にくくなる。

まさにこれでした。
違和感を感じたにも関わらず、気が付きましたよー、私気がつきましたよーという承認欲求だけでブログを書いたのだと思います。
実際、何が嫌なのか、どうして嫌なのか、なんて明確にわかりません。
ただ「なんとなく」と言っている状態のようなものです。

でも折角なので(というかここで共有するのもいかがなものかと思います)
MBさんからやUNCOMONのヒラタさんから教えて頂いた「なぜ?」なのかを深掘ってみます。
2日前の「やらさている感を感じてしまった」という違和感に対し、答えは続きません。
だって、これも自分を守っている表現ですよね。

私は「自分が評価されないならやる気が出ないよー」と思っていたんですよね。(あー、向き合うの辛い)

では何故私は「やる気が出ないよー」と思っているの?と続きますよね。
これ以上、公の場で自分をさらけ出す必要もないので、やめておきますが、
一つだけ言いたいこと。
それは

「違和感だということを感じること自体が難しい、違和感自体を素直に吐き出せない」ということがあるということ。

MBさんや西野さんのvoicyを聴いたり、MBさんや西野さんのの著書や推薦著書を読んだりすると、本当に自分と向き合っていなかったんだなぁと、ようやく痛感できるようになりました。

多分、蚕の繭のようにいくつもいくつもの糸を巻き付けて、自分を守ってきたんだと思います。
傷付きたくなかったし、自分の弱さを知ったら、立ち向かえないくらい自分は弱いのだと思います。
けれど、こんな風に言えるようになったこと、気付けたこと自体、自分は強くなったのだと自分を褒めてあげたいです。

大抵の人は無知が故に認知の歪みがあります。人の価値観を容易に受け入れることができる完璧な人など存在しないと私は思います。

人が成長できるタイミングは、未熟な自分を知りそして受け入れ、落ち込み、自分なんてどうせと思わず「変わりたい」と思えるかだと思います。

「幸せ」だと思える毎日を送れるようになるためには、必ず辛いことを乗り越えなければならない時期がある、とMBさんが動画や著書で言っていたことが今はとてもわかります。

だから「そんなこと今になってわかったの?」と誰かに言われたとしても、今だから、今じゃなきゃ気付けなかったと胸を張って言えます。

違和感を感じたり、嫌だなと思ったら、何故そもそも嫌だと思っているのだろうと、思考を巡らせる。
そして、じゃあ何が楽しいのだろうと考えてみる。できれば紙に書き出して自分を客観視する。
違和感を感じたら放置しない。
違和感を見つけたらチャンスだと思うようにする。
嫌だなと思う気持ちは改善できるにはどうするかを考えて行動する。
この作業をするだけで、思考がポジティブに変わる。

それを信じて頑張ります。
きっと、また自分の嫌なところを見つけるのでしょう。
そして落ち込むのでしょう。
でも落ち込まなければ立ち上がれないし、立ち上がるには何かを変えたいと思う原動力が必要だと実感しています。

この歳になって、新しい自分に会えて感謝です。(苦笑)
今とてもいい環境下にいるから「絶対に自分は変われる」と思っています。
頑張ろうー!

今日も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!
おやすみなさい!!

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