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わが国の複数公用語化はいかがなものかー外国人在住者への日本語教育と日本の国際化ー

7月23日付日経で「公用語は日本語だけ? 外国人1割超の時代に」という覧具雄人氏の署名記事が掲載された。
この記事の論調は、「日本に住む外国人が増えて、日本の言語・文化に馴染めないという状況が多発している。従って日本語だけを公用語とする社会を考え直すべきだ」というものだ。
この筆者は、あたかも世界の多くの国で第二、第三の言語を公用語にすることが検討されているかのごとく論を進めている。他方で、「移民増加に伴う社会的問題の増加が懸念されるから、日本語を学べる制度の充実や、相手の言語も交え意思疎通をすることで融和を図るべき」と結論している。
私はこの論調に違和感を覚える。この論理は二つの問題を一緒くたにしていると言わざるを得ない。第一は、外国人居住者が日本の言語・文化になじめず困っているという問題。第二は、日本の国際化である。

1.外国人長期滞在者に必要な施策は何か

第一の問題は主に労働者として、すでに家族とともに長期居住が認められた外国人が直面しているケースが多い。従来、低開発国から研修目的で来日して滞在を認められていた人が多くいた。しかし、実態は低賃金での労働者確保に過ぎなかったという反省から、「特定技能1号」というカテゴリーで、正式に雇用を認めようという制度である。その代り、外国人を単なる低賃金労働と位置付けることを防止するために、監視を厳しくし、滞在期間や帯同家族に制限を設けている。2019年4月から始まった。
この制度に則って外国人を滞在させるのは、あくまでわが国の労働力不足を補うためである。従って、最長5年の期間を満了すれば自国に帰ってもらわなければならない。日本の言語・文化に馴染んでもらうという必然性は低いと言わざるを得ない。
欧州では、それぞれの国の旧植民地からの移民が多い。それは過去の誤った植民地支配を反省する意味で政治的に多くの移民を受け入れてきた歴史があるからだ。イギリス、フランス、オランダなどにその傾向が強い。またドイツでは戦後労働力不足を補うため、トルコから大量の労働者移民を受け入れた。欧州ではそれに加え、多くの難民を受け入れるという政策が取られてきた。そして彼ら移民が家族を持ち、二世、三世が増えるに従って、社会問題が顕在化したのである。
ただ、二世以降は、欧州で育っているから言語の問題はない。多くは市民権も得ている。それなのに社会問題が顕在化するのは、人種・民族の違いに起因する原住国民との意識的対立や、教育・雇用面での暗黙裡の差別である。居住する地域に偏りがあるため、そこを起点として暴動騒ぎも多発している。
つまり、二世以降の人たちは、その国の国民として制度上の差別は受けていないにもかかわらず、云わば「第二国民」として「暗黙裡に差別」されている、あるいはそう感じているという状況である。
わが国でも外国人を労働者不足の解決法として安易に受け入れようとすると、同様の問題が生じる可能性が高い。ましてや、多くのエスニックグループに配慮して、わが国で公用語を複数にするという手段で解決しようとするのは間違いである。そのようなことをすれば、人種・民族間の対立を助長する方向に働いてしまう懸念がある。
欧州では過去の反省の下、逆に、受入国の言語と文化を強制的に学ばせる研修制度を整備し、一日も早くその国の文化・習慣に順応させることを基本政策としている。
私が住んでいたイギリスでは、旧植民地のインド人、シンガポール人、香港出身者などが、弁護士や医者などの知識集約的職業にどんどん進出している一方、ロンドン南部などに移民の居住が集中し、社会不安を助長している。イギリス政府は、徹底した英語および英国文化の教育を、新たに来た外国人に対して無料あるいは廉価で提供し、イギリスの「外国化」を防止しようとしてきた。私の子供たちも、現地の小学校で特別クラスの英語教育を受けた。そのおかげで、子供たちは数か月でイギリス人の子供たちの社会に円滑に順応できた。
またオランダにおいては、私が企業の駐在員であったときは「短期滞在者」として何ら行政からの働きかけはなかったが、後に独立して永住ビザを取得したとたんに、妻に対して強制的にオランダ語と文化を学ぶ学校に行くよう指示された。そこでは新たに来た長期滞在者や難民と一緒に学ぶ体制が完備していた。オランダには旧植民地のスリナム人、インドネシア人に加え、労働力不足を補う移民としてトルコ人やモロッコ人が永住している。また難民も積極的に受け入れてきた。
両国を見ても、増える一方の外国人居住者およびその子孫が宗教、生活習慣、価値観の違いから、その国古来の文化や社会を守ることに大きな支障をきたしているという事実を認識するべきである。
欧州で起きている外国人定住者の社会問題は他人ごとではない。実は日本では過去に経験していることなのだ。1910年の日韓併合以来、多くの半島出身者を労働力として日本で受け入れた。1945年の敗戦まで35年間、彼らの多くは日本で生活をし、子供を育てた。そして戦後もその子孫が半島に帰ることなく、日本に留まっている。日本に帰化した人も多い。しかし悲しいことに、いまだに民族間の溝は消えず、互いの意識に距離を感じている例が多い。就職などで差別を受けた例は枚挙にいとまがない。
安易に労働力不足を補うために外国人を受け入れることがもたらす問題を、われわれは自国の歴史から学ぶ必要がある。
日本では2019年4月から導入された「特定技能1号」の資格で、労働者として外国人が日本に滞在することを許可することになった。彼らは短期滞在という扱いであるから、日本語および日本文化の教育は初歩的なレベルに留められる。家族の帯同も認められていないから、子供の学校の問題はない。
他方、高い技能を要する「特定技能2号」の資格で受け入れる外国人には、永住権取得の道も用意されている。彼らには参政権を除いて基本的に日本人と同等の扱いをするべきである。家族の帯同も許されているから、伴侶や子供も含めて、徹底した日本語および日本文化の教育を施すべきである。「郷に入れば郷に従え」を原則とすることである。

2.日本の国際化が叫ばれて80年:教育制度の何を変えるか

さて、第二の問題「日本の国際化」はどう考えるべきか。明治維新以降、急速な国際化が叫ばれ、富国強兵に邁進したわが国であるが、第二次大戦の終戦後は経済面での国際化が叫ばれてきた。
私は「もはや戦後ではない」と言われたときに小学校に入学し、高度経済成長が終焉すると同時に大学を卒業して社会人になった。中学・高校では終始英語教育を受けてきたが、英語教師のほとんどは、読解と英文法は講じることができても、英語で意思疎通を行うことは困難であった。私は独習を重ねて、後に国際的なビジネスに従事し、その後大学の研究者に転じ、英語で論文を書き、国際学会で研究発表をする立場になった。その経験を基にして提唱したいことがある。
ビジネスにしろ、学術研究にしろ、日本人の英語力は劣っていると言わざるを得ない。今や、そのどちらの世界でも一般的に英語でコミュニケーションがなされている。仕事で使う英語は、いわゆる「買い物英語」ではない。微妙な駆け引きや相手への気遣い、また難しい事柄を解釈しかつ説明することが必須となる。
昔の上司は「俺なんか社会人になった時は英語なんて全然できなかったけど、3度の海外駐在をつつがなくやってきたんだ。何とかなるもんさ」と豪語していた。しかし、今考えると、彼は英語が流ちょうに使えないために、出来なかったことが多々あったことを知る由もない。日本の会社の出先機関で、本社とのパイプ役に終始し、現地雇用の番頭さんのサポートを受けながらなんとか役目を果たしたに過ぎない。
学術分野では、国際学術雑誌に掲載される論文の数の少なさを見ると、日本人の英語力のなさは如実に表れている。多くの学術雑誌に掲載されているのは、非英語圏の研究者による論文が圧倒的に多い。かつて英語が苦手と言われたフランス人、イタリア人、ドイツ人なども、今や素晴らしい英語のコミュニケーション力を持つようになった。彼らは、積極的に英語で研究発表をし、学会でも多くの人と交流を重ねている。欧州では大学間の単位互換制度によって、英語での授業が一般化していることが奏功しているようだ。また、学会では多くの中国人や韓国人も活躍している。しかし日本の大学の研究者による活躍は、極めて微少である。
この状態が続く限り、日本はどんどん取り残されていくと言わざるを得ない。長年叫ばれてきた「国際化」は、戦後80年近く経っても何ら功を奏していないのが明らかだ。
小学校での英語教育に反対する人が多いが、上記のような事態を脱却するためには、むしろもっと本腰を入れて英語教育を進める必要がある。
重要なポイントは、英語教育を充実するからと言って、日本語や日本の歴史文化教育が弱体化することにはつながらないという点である。多くの人が体験しているように、外国を知れば知るほど、日本の文化や価値観を確かめたいと思うようになり、それを理解しかつ外国人に説明したいと思うのである。
では解決策はどのようなものか。第一に、小学校以降の英語教育は、英語を母語とする者、あるいはそれに準ずる能力を持っている教員に任せるべきである。過去に英語を教えたことがない小学校教員が、カタコトで「英語も」教えるなどということがあってはならない。第二に、英語教育は「英会話教育」ではないという点である。将来、英語で仕事をすることを念頭に、読み、書き、聴き、話すことを、総合的に可能とする教育でなければならない。第三に、高校ではすべての授業を英語で行うコースを、全国に広めることである。できれば高校生の半数が英語コースで学習しているとう体制を目指すべきである。第四に、大学でも同様に全国的に半数の学部が英語で授業をする体制を整備し、それにふさわしい教員を配置する必要がある。大学院の体制も同じである。このようにすれば、海外からも多くの優秀な学生が留学してくる上、レベルの高い研究者が確保できる一方、日本人学生も世界中の大学・大学院に進学できるようになる。英語ですべての授業を行う立命館アジア太平洋大学や国際教養大学(秋田)が極めて人気が高く、大きな成功例となっていることからも、この方法は正当化できる。

3.二律背反ではない二つの政策

国際化は、世界言語となっている英語で、円滑にコミュニケーションができることが大前提となる。国際的に活躍する日本人が、日本の言語、歴史、文化を軽視するなどと危惧する必要はない。国際人は自分の母国の言語・文化を誇りに思うものである。
他方で、日本に定住しようとする「特定技能2号」による知識労働者およびその家族には、日本語、歴史、文化を正しく理解すよう、徹底的な教育体制の整備をすることが必要である。外国人が一か所に固まることなく、日本の社会に溶け込み、長期にわたって日本の発展に貢献してくれるような施策を推進するべきである。
このように、日本の国際化と外国人定住者の日本語・文化教育は別個に考えるべきものであり、その二つは両立しなければならないのである。


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