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声優養成所=草野球?

私には夢がある。人に話したら笑われるような夢だが、いまのところ笑われたことはない。
声優になることだ。

私は中学生の頃からの声優オタクだ。特に高三でアイドルマスターsideMにハマってからは、声優の声だけでなく顔や歌声、ダンスも含めて好きになった。
大好きな声優たちが歌って踊る映像を何度も何度も見ながら、私の胸の中には、人には言えない願望がむくむくと湧いていた。

こんなふうにスポットライトを浴びてみたい。お客さんでいっぱいの会場でステージに立ってみたい。私も、声優になりたい。

その思いはずっと、胸にしまっていた。
声優はいまや大人気の職業だ。メディアで見かける女性声優はみんなアイドルみたいに可愛い。私みたいな凡庸な容姿と声の人間がなれるわけがない。それに、声優だけで食べていける人なんてほんの一握りだ、と聞いたこともある。真面目に目指すような職業ではない、と思っていた。

転機が訪れたのは、ほんの半月前だ。大学四年生の私は、去年から今年の八月末までずっと就活をしていたのだが、ひとつも内定が出なかった。
縁がなかった、準備が足りなかった、死ぬ気でやらなかった。きっと理由はいくつもあって、どれが決定打だったのかはわからない。とにかく私は不採用通知の山に傷つき、疲れ果て、もうやりたくないと思った。親と相談し、今年は就活をやめさせてもらい、来年バイトをしながら既卒で就活を続けることになった。

突然やってきた、「もう一年遊べるドン!」。モラトリアム期間の延長。
なにをしようか迷う私に、父は「公務員試験の勉強をしろ」と言ったが、兄は「小説を書くのが好きなら、小説講座やシナリオライター講座を受けてみたら」と言った。
それは面白そうだ、と思った私は、いろいろな講座を調べてみた。そして調べるうちに、「声優養成所に通う」という選択肢もあることに気がついた。

私の「推し」である声優が所属している事務所附属の養成所がある。そこのスタンダードクラスは半年間、週に一回のレッスンで、学費は二十四万だ。今までのバイト代の貯金と、五百円玉貯金と、給付金の残りを足し合わせればぎりぎり払える額。入試に受かるかはわからないけれど、金銭的には、不可能ではない。時間的にも、週一のレッスンなら、バイトをしながらでも通えるだろう。
にわかに発生した「声優養成所に通えるかもしれない」という可能性に、胸がどきどきして、頭がいっぱいになった。誰にも言えず、とりあえずTwitterでつぶやいてみたら、親しいフォロワーが「友達に養成所や劇団入りながら働いてる人もいるよ! 結果的にその仕事に就かなくても、やりたいことに向かって突き進んだ経験は無駄にならないんじゃないかな」と背中を押してくれた。

それでも、親には話せなかった。いまも話せていない。
結婚を考えている恋人には打ち明けた。きっと笑われるだろう、それか真剣に止められるだろう、と思いながら。
しかし彼は、笑いも止めもしなかった。そのとき彼の言った一言が、私の固定観念をぶち壊した。

「いいんじゃない?サッカーチームや草野球に入るのと同じでしょ?」

そうか。「声優養成所に通う=声優になる」ではないんだ。趣味をもっと上達させるための、いわば習い事みたいなものなんだ。
彼は続けて、私が通いたいと思っていた養成所には「ベーシックコース」があり、それはプロを目指さない人でもどうぞ! と門戸が開かれているようだと教えてくれた。調べてみると、ベーシックコースは来年の一月から三ヶ月。入試はないらしく、おそらく先着順。学費は十万円。余裕だ。
ベーシックコースを修了するときに試験があり、合格すれば次のスタンダードクラスに上がれて、さらにそこからアドバンスクラスに合格するとプロになれる、ということのようだ。

きっと私はプロにはなれないだろう。それでも、プロの声優に直接指導を受けられるチャンスが私にもあるのだ。将来を投げうって専念しなくても、週に一度の習い事感覚で、好きなことを勉強できるのだ。それはとても素晴らしいことだと思えた。就活を失敗してよかった、とすら思う。もし順調に就職していたら、きっと私は一生、こんな阿呆な夢を追いかけようとすることはなかっただろう。

お金をかけて趣味を勉強してみたらと提案してくれた兄。無謀な夢を笑うことなく、温かく後押ししてくれたフォロワー。私の気を楽にし、親の説得も容易にしてくれる言葉をくれた彼。
みんながきっと何気なく、でも私にとってとても重要なことを教えてくれた。誰一人が欠けても、この夢を本気で追いかけようという決意をすることはできなかった。


最後に。私は件の「推し」の声優のラジオに、「声優養成所に通いたいと思っているが、親に反対されそうで不安だ」という内容のおたよりを送った。なんとそのおたよりは先週の放送で読まれた。
「推し」は、「本当にやりたいことはやった方がいい」「チャンスとタイミングと資本が揃う人はなかなかいない。挑戦できるなら、するべきだ」とエールをくれた。加えて、「実はこの養成所では僕も講師をしているから、ここに入れば、あなたを教える可能性は十分ありうる」と教えてくれた。
推しが応援してくれて、しかも推しに直接会って指導してもらえる可能性があるなんて! 私は、もう誰になんと言われようと入ろう、と思った。親も必ず説得してみせようと。


真面目に勉強し、いい学校に入り、いい会社に入るために生きてきた。でも、就職先は進学先のように簡単に確保することはできなかった。真面目なだけでは必要とされないらしい。幾多の会社に「お前はいらない」と切り捨てられ、もうなぜ生きているかもわからないくらい消耗していた。

ここらで少し回り道をしてみるのもいいかもしれない。敷かれたレールをまっすぐ走るだけではダメだったなら、今度は思いっきりルートを逸れてみよう。「手のかからない真面目ないい子」をやめて、「阿呆な道楽娘」になってやろう。
私にだってやりたいことはあるのだ。いい学校に行って、安定した仕事に就くというまっすぐな一本道じゃなくて、横にある藪とか川とかにだって入ってみたいのだ。

たとえ茨の道でも、歩いてみたい。自分の足で。入りたくもない会社に落とされて傷つくより、進みたい道をはだしで歩いて傷つく方がずっといい。私は、生まれて初めて、自分の意志で、生きてみたいのだ。

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