2012/8/30 #217 希少性から見る自己理解

希少性があるものの価値が上がる、という不思議な原理がある。

例えば、満月は月に一回しか来ないからこそ価値が上がり、名前が付けられているように思う。

1月はウルフムーン、2月はスノームーン…etc

昔から、こういう当たり前に疑問を持つタイプの人間だった。
じゃあ満月が月に3回あったら。それでもその美しさにも人は名前をつけるだろうか。
やはり希少性は薄まり、満月の価値は下がるのだろうか。

人間で言うと、意識/魂は人それぞれに定着しているのでこれは希少性が高いようにも思える。

でも、人間という同じ種で考えるとやはり70億人以上も存在してしまっていて、その希少性を評価されることはほとんどない。


希少性が高い物に価値がある、というその習性自体が何故生まれたのかは調べてもあまり根本となる言説は出てこなかった。

一応、FOMOという概念を見つけた。

"Fear of Missing Out" の略で、「取り残される恐怖」を意味するらしい。

自分がいない間に他人が有益な体験をしているかもしれない、という不安が人間にはあるという。

嫉妬、と根源は近いのかもしれない。

人含む生物は「生存のために行動の選択をしている」というより、ランダムに選択しまくった結果、環境に適応できたものだけが生き残っている状態だと自分は思っている。

つまり、嫉妬も希少性の原理も環境に適応した選択だ。

で、自分が何故そういう物に疑問を持つか、というと、そういう原理が働いていないことが多いからだ。

寂しさ、嫉妬、希少性の原理、そういったものがほとんどなかったり、かなり薄かったりすることが多い。

その特性のせい(おかげ)で、人が当たり前に取る行動に疑問を感じることが多い。

生存だけで物事を考えるならば、恐らく自分はストッパー、緩和、そういった役割なのだと思う。


幼い頃(5〜6歳の頃?)、迷信を言う母親を見て「そんなこと起こるわけなくないか?」と思った記憶がある。

中学生くらいになれば、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という言葉が、何故なのかを調べたりするようにもなった。

誰かに"疑問を持つこと"を教えてもらった記憶はもちろんない。
恐らく、自分にほとんど最初から備わっていた機能なのだろう。

"当たり前を疑う"という自分の特性を、生きていると節々から見つめ直すことができる。
自分が周りを良く見ているから、と言うのも大きい。

それらの特性が、生きている上で役に立ったことも多い。

あなたが機能としてそういう特性が備わっていない人だとしても、意識することで少しでも役に立つことがあれば幸いだなぁと思う。

THURSDAY'S YOUTH
篠山浩生

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