【ショート小説】住宅街の闇バイト(後編)
玄関の鍵は掛かっていなかった。
渡された見取り図に従い、まずは夫婦の妻の方の寝室。四十代半ばの夫婦は、リーダー格からの情報によると半年前に夫の会社が倒産してからというもの、夫婦仲が悪くなり今は別室で寝ているという。夫は今も求職中。
夫婦の事情に少しだけ同情しつつも、今はそんなことを考えている余裕はない。
部屋の角に立ち、息を殺す。いつ住人に起きられるかもしれない恐怖と戦いながら、永遠のように長く感じる一時間をなんとかやり過ごした。
次に長女と弟が眠る子供部屋に入る。こちらでも部屋の角で息を殺し、ただただ時間が経つのを待つ。一体何なのだ、このバイトは。
リーダー格からの情報では、中学生の長女は両親の不仲が原因でストレスを感じ、ここ数日不登校が続いているという。
可哀想に、と妙に冷静な気持ちで長女の寝顔を見ていた。その瞬間、長女が目を覚ました。すぐにこちらの存在に気付き、目を見開いている。すぐさま悲鳴を上げようとしているのがわかる。あまりの驚きで声が出ない様子。
大混乱する頭の中で、リーダー格から言われた言葉をなんとか思い出した。しどろもどろになりながらも球体を三度ドリブル。すぐに部屋を飛び出した。
リーダー格からの指示では父親の部屋には入らなくてよいとのことだった。この指示も疑問には思いつつ、これにて任務は完了だ。
階段を下り、玄関を飛び出る。黒ワゴンには戻らず、そのまま一心不乱に一人暮らしのアパートに走った。夜明け前、なんとか帰宅した部屋で呼吸を整え冷静を取り戻す。
鏡の前に立つ。顔面蒼白の頭にはおかっぱ頭のカツラ。古びた着物。先程までは暗くてわからなかったが、手に持っている球体は毬(マリ)だった。
**
悪夢のような闇バイトの夜から数日間、警察に通報されたのではないかという恐怖でアパートから出られなかった。
あの夜のことは、それこそ悪い夢だと思って、思い出さないようにしていた。
そうは言ってもこの数日間、一時も頭から離れなかった。
警察に捕まるくらいならと、数日間かけて覚悟を決め、あの夜侵入した家に謝りに行くことに決めた。
その日の夕方、勇気を振り絞って隣町の住宅街に到着。迷いながらも、あの夜侵入した家のチャイムを押した。
出てきたのは小学生の男の子。子供部屋で寝ていた弟の方だ。
恐る恐る「パ・・パパかママは・・いるかな?」と尋ねてみた。
小学生相手にも人見知りをしてしまう自分が恥ずかしい。
男の子が答える。「パパもママも仕事。お姉ちゃんも学校でいないよ。」今時の子供らしく流暢で、なおかつ無感情な口調だ。
あの夜リーダー格から聞いた情報を思い出し、思わず疑問が口から出てしまった。
「あれ、パパはお仕事してなくてお姉ちゃんは不登校じゃないの・・?」
しまったと思いつつ、男の子が答えてくれた。
「なんで知ってんの?キモい。
パパはニート卒業して昨日から新しい職場。姉ちゃんも一昨日からメンヘラ脱して学校行き始めた。
先週ある事件があってからうちの家族バカみたいに前向きになったの。」
「ある事件・・?」僕は尋ねた。
「うん、姉ちゃんが夜中に『座敷わらし』を目撃したの。」
**
翌日、久しぶりに大学に行ってみようという気持ちになった。
所属するゼミに久しぶりに顔を出してみたくなったのだ。日本の古くからの言い伝えや伝説、さらには妖怪について研究をする、珍しいゼミ。
ゼミ室に入ると、教授は不在だった。代わりに北島と名乗る、ゼミのOBの男がいた。
北島さんは「教授は大学に副業がバレてしばらく謹慎処分になってるよ。」と教えてくれた。
その事実にも驚いたが、何より驚いたのは、北島さんに見覚えがあったこと。
何を隠そう、あの夜の闇バイト、リーダー格の男であった。
北島さんは続ける。「あの夜協力してくれた子だよね?その節は世話になったね。闇バイトとはいえ良いことをしてるんだからそこまで怖がらなくて良いんだよ。」
意味が分からず、尋ねてみる。「あの・・あれは一体なんのバイトだったんでしょう?」
北島さんはなぜか誇らしげに答える。
「あれは教授が副業でやっているビジネスなんだ。僕もしょっちゅう手伝っていてね。『座敷わらしのデリバリーサービス』さ。」
「座敷わらしのデリバリーサービス・・?」聞き慣れない言葉に頭が混乱してくる。
「そう、不幸な境遇にある家庭や、うまくいってない家族のもとに座敷わらしを届けるサービス。座敷わらしを目撃した家はその後幸せになるって聞いたことあるだろ?それがたとえ偽物の座敷わらしだとしても、それを目撃して気持ちが前向きになった家族は、きっと良い方向に向かう、それが教授の考えなんだ。」
この人が何を話しているのか全く理解できない。次第に目眩がしてきた。
ただ、「ぬらりひょん」の正体が教授であったことと、あの闇バイトはとりあえず悪意からのものでなかったことだけは理解ができた。
北島さんは続ける。「依頼のあった家庭に、座敷わらしに変装した小柄な学生を侵入させる。君が侵入した家は、家族をもう一度明るくしたいという願いで父親から依頼があったんだ。」
安心と共に、だんだん怒りが湧いてきた。
「なんで最初から言ってくれなかったんですか。なんなんですかそのサービス。くだらない。教授もあなたもいい加減にしてくださいよ!」
突然怒りだした僕を、北島さんは妖怪を見るような目で見ていた。
**
大学を出ると、清々しい風が吹いていた。久しぶりに感情を出したので、不思議と心がスッキリとしていた。
くだらないことで人の幸せを願う大人もいるもんだ。バカバカしい。バカバカしいけど、案外捨てたもんじゃない。
教授が戻ってきたら、就活の相談をしてみようか。
久しぶりに沸き起こる前向きな気持ちを噛み締めながら、アパートへの帰途を急いだ。
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