迷える子羊

ここ最近、新聞の取材やなんかで、他人に自分の生い立ちを話す機会が増えた。

話すたびに分かるのは、34年も生きてきて、自分の人生には何もなかったこと(悪い意味ではない)そして「ものまね人間」だったこと。
そして、ものまね人間だからこそ、今迷っていること。

今日は過去を振り返りながらそんな話をしたい。
「真実の自分」とは何なのか、ヒントがあると良い。

大家族に産まれて

僕は、5人兄弟の大家族に生まれた。
正直「大家族」と言える人数ではないのだが、今どき両親合わせて7人家族は珍しい部類でもあるとは思うので、大家族と呼んでいる。

また、少し珍しいのは兄弟たちは皆、1歳ずつしか年齢が離れていない。
幼い頃、母は左手で長男を引いて、右手に長女を引いて、背中に次男を背負って、乳に僕を巻いて、お腹には妹がいて、家中はゴミだらけで混沌としていたように思う。

サバンナを生きる

5人も兄弟がいると、まるで野生のような生活だった。

食事の時は、大皿で出るのが当たり前で、群がるように食べ、気付いたら無くなっている。
食べるためには、いかにして早く食べるか、いかにして奪われないかが肝なのだ。

家では物が壊れると、育児に疲れ切った母親がブチ切れる。

母「誰がやったんだ、お前か?」
長男「知らない…」

母「お前か?」
長女「え、わたしじゃない…」

母「お前か?」
次男「俺じゃない…」

母「じゃあお前か?」
僕「し、しらないよ…」

母「お前かぁ!」
妹「あたしじゃないもん…涙目」

不思議なんだ、誰も知らないんだ。
7人家族の七不思議と呼んでいる。

母はよく怒ったが、深い愛情を持って5人もの子どもを育て、そのせいでよく肥えた身体は、まるでのようだった。

僕らは、そうやって獰猛な牛の目をかいくぐって、サバンナを生き抜いてきた。

放任主義

母は年の近い5人の子どもがいるものだから、毎日毎日皿洗い、洗濯、掃除、育児に追われていた。

父も子どもを食べさせるため、あくせく仕事に出て、週末も趣味のマラソンとトライアスロンにのように駆け回る毎日。

そんな環境だから、自然と親は「放任主義」にならざるを得なかった。

フルチンで外で遊んだり、勝手に迷子になったり、兄弟同士遊んだり、ケンカしたり、貧乏である不自由を除けば本当に自由だった。

放任主義ゆえに子どもたちは、個性が芽生えたように思う。

長男は責任感があり、頭も良く、何かを発案しては、僕らを率いてのようにいつもリーダーだった。

姉は、自由気ままに1人行動が好きで、なりふり構わず、どこへでも行く、ボケた感じはのようだった。

次男は、長男と反発して、よくケンカになりのようにケンカっ早く、ワイルドに。

妹は、末っ子ゆえ兄弟にいじめられ、のように泣いていることが多かったが、その分人一倍優しく思い遣りのある子に育った。

それぞれがその環境に適した進化を遂げたし、その個性に従って、各々が何かを選択して生きていた。

個性がない

ただ、僕の場合、個性らしいものがなかったように思う。

なぜなら、立派な上の3人が、いつも何かしているから、それを真似るだけで苦労はしなかったので、何かを考える必要がなかった。

彼らの「ものまね」をして、いつも誰かの背中を追いかけていた。

兄2人とチェンバラごっこや、彼らの買ったゲームや漫画をやらせてもらいながら、姉や妹と人形遊びや、おままごと、少女漫画を読んだりして、男と女の環境にもまれて育った。

洋服も、お弁当箱も、筆記用具も、もちろんお下がりだ。

学校にいけば「〇〇さんの弟なんだ」と常に上の三人あっての自分だった。

狼や猿、虎のような、兄や姉を真似て生きた。
何かを考える必要がなかったから、ボッーとして、個性なく、群れの中、誰かの背中を追う様子は、さしずめ僕は「」に近いかもしれない。
個性的とは言えない育ち方をしたように思う。

僕は周りに同調し、人の顔色をうかがい、無難に生きることだけは上手かったように思う。

ものまね人生

特にやりたいこともないし、行きたいところもないから、高校に進学することになった時

「次男がその高校に行っているから」

ただそれだけの理由で進学を決めた。

大学の進学の時も、僕はまた

「長男が行ったから」

と言う理由で、長男と同じ経営学の大学に進学を決めた。
経営なんて興味もなかったのに。

20歳になって、趣味の一つもないことに焦りを感じた時、父がやっていたトライアスロンを真似て「趣味だ」と言い張った。

ただ父にマラソンやトライアスロンに連れられて、真似をしているだけで、本当に興味があったわけではないのに。

そうやって、可もなく不可もなく、過もなく不足もない平成の時代に生まれ、どっちつかずで、当たり障りなく振舞い、人の顔色を伺いながら、ぼーっと無難に生きてきた。

転機

幸いにも大学時代には、人生を大きく変える出来事があった。

20歳を過ぎて、大学に通い始めた頃、初めて恋に落ちた。
また、同時期に、僕が起業人生を歩むことになる師にも出会った。

初めての恋と、起業する夢が同時に押し寄せて、20年生きてきて初めて「青春」が嵐のように一気に訪れた。

が、結局、初めての恋人とは上手くいかず、彼女はのように僕の事を忘れてしまったが、色恋、色濃い4年を過ごした。

だから、僕にとって大学は人生の転機だった。

大学生にもなると、サバンナの中で育った兄妹達も皆大人になり、以前のような賑やかさが実家には無くなった。

実家は妹と僕と母と犬だけになり、静かになった。

大学生になって、出逢いがあり、静かになり、僕は僕の人生を初めて生きた気がした。


それでも、ものまね人生に変わりはなかった。
”兄弟の背中”を追っていたのが今度は”師匠の背中”に変わっただけだった。

ベンチャー起業と言えば聞こえは良いが、のように夢に走り続ける大学教授である、師匠のやっていることをそのまま真似て、また背中を追った。


大学時代は、転機となり素晴らしい出会いがあったことに変わりはないが、幼少や高校や大学の進学の時と同じようで、結局、誰かの背中を追って、ものまねをするだけの生き方は何も変わっていなかったのだ。

大学を卒業して、22歳でお店を出し、23歳で会社を起ち上げた。
「行動力がある」「変わってる」と言われるが、師匠の背中を追い、真似をする、ただ僕にはそれしかなかっただけなのだ。

それ故に、気付けばサラリーマンの父や兄弟とは、少し違った人生を歩むようにはなっていたが、30歳になっても、誰かの真似をする人生に変化はなかった。

ADHDで自分を見直すことに

起業してから7年の間、やりたいようにやり、食べる為に我武者羅に働き、気づいたら30代になり、仕事のミスや、事故、病気、人間関係の不和が多発するようになり、精神科へ行くことになった。

「ADHDです」と医者に言われ、人生に対して、疑問を持つようになった。
それから31歳でnoteに出会い、自分とは何かを考える機会が増え、3年が経ち、今に至る。

ものまね人生でも良い

誤解のないように言っておきたいのだが、僕は34年間幸せだったと思う。

母も父も、兄姉も、恋人も師も、妻も、友人もお客様も、noteで出逢ったあなた方も、出会う人と、愛に恵まれた人生だったと思っている。

しかし、何でもあり、無限の選択肢があり、自由すぎるこの平成や令和には、それはそれで悩みが多いのも確かなのだ。

今思い返せば気付いた時には僕は「迷える子羊」になっていた。

けれども、3年前に障害につまずいたおかげで、人生の落とし穴に落ちてみれば、しっかりと自分の両足で立っていることに気がついた。

さまよって、誰かの背中を追って歩いてきて、これと言って何もない半生だったかもしれないが、結果、僕は最愛の人々に出逢うことができ、今自立することが出来ている。

何も考えずにただ兄の背中を追った青年期も、起業家への今に繋がっていた。

今まで、ずっと羊のように、自分が何者かも分からず、ただ目の前の誰かの後ろについて、真似をして生きてことに疑問を持ってきた。
でも、それも良かったんだと、今は想える。
いや、それが良かったんだ。

猪のように走り続ける父
牛のように穏やかに子を育てた母
狼のように賢く気高い兄
猿のように自由気ままな姉
虎のように強い兄
兎のように優しい妹
鶏のように僕を忘れた恋人
馬のように遊牧し夢に走り続ける師
鼠のように臆病で倹約な妻

羊のように迷える僕も
彼らを真似て生きたおかげで、今、家庭を持ち、会社も軌道に乗り、自由で自立できていることは確かなのだ。

立派でなくても、今日も生きて立っている。
個性がなくても、僕は彼らから学び彼らの一部を借りて生きてこれた。

それだけで素晴らしいのだ。

何もない34年の半生だったかもしれないが、この人生は僕にしか体験できないたった一つの真実。

趣味も生きがいも、やりたいことも分からないが、それがなんだというのだ。

やりがいも、生きがいも見つけるのはこれからだって、きっと遅くはないだろう。

魂が選んだのなら

「本当の自分が何なのか」
ずっと考えてきたけれど、いくら考えても分からない。
自分の魂も心も決して見ることはできないから。

けれども、僕が出会ってきた人達、僕が真似たいと思った人達、僕がやりたいと思ってやったこと、僕が一緒にいたいと思って一緒にいる人、この人生で彼らに触れたこと、それこそが僕の心や魂が欲したからこそなのだ

今まで、何千、何万もの人やコトに触れる機会があった。
何万通りもの生きる道があった。

なのに、僕はたった一つの「それ」を選んで、真似をして生きてきた。
ものまねだとしても目の前の「それ」を選んだ。

きっと自分の魂や心が「それ」に奮え「それ」を真似たいと選び、出逢ったのだ。

「本当の自分」や「魂の求めるもの」なんてのは、考えても分からないけど、僕の人生に現れて「真似たい」と僕が選んだものこそが、多分答えなのだと思う。

34年間、彷徨って、誰かの真似をして歩んだ人生だったけれど、僕が歩んできた道はが這った跡のように、人生はずっと一本道に続いていて、この道で正解だったと今は分かるのだ。

たくさんの人に出逢い、たくさんの道があったかもしれないが、歩ぶ道は一つだけしかない。

もしかしたら「真の自分」というものは、どこかを探して見つかるものではなく、歩んできた道そのものが「真の自分」なのかもしれない。

大人になった今も、この先のことも、自分が何をしたいのかも分からない。

それでも僕はこれからも誰かに出逢い、学び、選んで、道を歩んでいくしかないんだ。

そして、いつかおじいちゃんになって、今日みたいに「僕の歩んできた道は正しかった、嬉しかった、幸せだった」と言えたならそれで良いと思うのだ。

そうやって、眠りにつくように息絶えて、いつかのように穏やかに天に昇れたら良い。

人は迷ったっていいと思う。
道はいくつでもあり、人は何にだってなれるから。
そして、どんなに彷徨っても、歩む道は一つしかないのだから。

今までの半生
ものまねばかりであったことも
迷い続けてきたことも

これからの人生
今のままの自分でいることも
次元の違う自分になることも

どれもたった一つの人生で
どちらであっても紛れもなく
本当の自分自身であることに変わりはなく、代わりもないものなのだ。


おわりに

僕は今「真実の自分」を探している。
けれども、大切なことは”真実(本当)かどうか”ではないのかもしれない。

誰かのものまねをして生きた今までの自分は「虚偽の自分」だっただろうか?

当たり障りなく無難に生きた半生は「偽物の人生」だっただろうか?

そうではない。

紛れもなく、この世界にたった一つしかない僕だけの人生だったから。

「真実」や「本当」を明らかにすることは、同時に「虚偽」や「嘘」を明らかにするということになる。

もし「真実の自分」というものと、いつか出会えたとしても

それが僕の半生を「虚」や「偽」や「嘘」だったと否定するものになるなら、そんなものはいらない。

そもそも、なぜ僕は「本当の自分」を知りたいのだろうか。

それは事実、僕自身が今までの自分を疑ったり後悔していたからだと思う。

”ものまねばかりの人生で良いんだろうか”

”明るく天真爛漫だったあの頃に戻りたい”

”なんでもっと上手く出来なかったんだろうか”

”本当の自分はこんなんじゃないはず”

そういう気持ちが、いつも心の中にあるからなんだ。

たくさんの愛のおかげで、つまらない半生でも今の自分に満足していて、幸せだったし、迷いながらも今に繋がる道を歩んできたんだと本当にそう想ってる。

しかし「もっとこうなりたい」「変わりたい」とも願っている。

僕が悩んでいる「真実の自分」とは「本当」とか「嘘」じゃないのかもしれない。

本当はそんなのどっちでも良くて
結局、僕は胸を張って生きたい
ただそれだけなんだと思う。

胸を張って生きられていないから、僕は「真実の自分」を探して、逃げているのかもしれない。

迷うのも、彷徨うのも、胸を張っていられないのも、自分を信じていないからなのだ。

いままでの半生も、これからの人生も、信じて生きてみようと思う。

どんな自分になっても、それを受け入れていこうと思う。

そういうに、僕は成りたい。

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