半生

目の前の売上に翻弄されてしまった、1年目

毎日1個自分の過去を書いていると少しづつ頭の中がスッキリしてきているのを最近感じます。
こんな、私の話を見てくれている人が少しでもいてくれるのはありがたいです。
私は、起業してから自分の事をSNSなどで公開するのが嫌になりました。
その理由は完全に人の目を気にしてしまったからです。
なので、今ここ数年含め辛かったことや、思い出に残っていることをこの場でブログのように話しているのはとても新鮮です。

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悔しさの中で頭を下げる、それが重要だった最初

起業当初、私は化粧品会社とコンサル契約を交わします。
月20万だ、口座には300万程
だが、20万では生活が・・・しかも300万に手をつけ続けたらショートする。
当時、もはやなんのコネもなく毎日1社と仕事するか危機感に苛まれる日々を送っていた私はどうするべきかを考え第一次脳みそドロドロ状態だった。
誤算は1つ、化粧品会社の社長がもっと高い金額で契約すると話していたのを鵜呑みにしていたのだ。

だが

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私が指導者を目指した理由

自分はバスケットのセカンドキャリアは引くほどいい話が流れるようになった。勿論その背景には現役時代の伝手も大きい。他チームとの交流も多かったし先輩後輩とも仲は良かった。だがここまで経験させてもらえてるのは自分の気持ちが大きいのではないのかなと、考えている。
 私の選手生活はいいものではなかった。小学3年生にバスケをはじめ、5年生からひざなどの足を痛め毎週接骨院に通うようになった。正直しんどかったし、

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スマホを割って、血を呪う。

つい数日前、スマホの画面のヒビが割れた。二度見しちゃうくらい、バキバキに。ただそれだけのことなのにひどく心臓をえぐられたような気分になる。しかも、一度ならず何度も、日々のゆるみを狙って、隙あらばえぐり直してくる始末。

 最初は自分でもよくわからなかった。

 ただ「スマホ割れて修理代かかる!今月ピンチや!」くらいの引きずり感かなぁと思っていたのだけど、実際には根は深いようで、脳内で割れたシーンを

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私という人間

1984年11月14日生まれ34歳
産まれは群馬県、4歳の時に親の離婚で母・妹と山梨県に移住そこから20歳までは山梨で過ごし東京へ上京??

2010年に結婚し2児の父、長男9歳・次男5歳!

2015年(30歳)に通販CRMコンサルティング・WEB制作のジャンルで起業し年間3000万〜5000万の売上で今5年目を迎えます。
2017年に幼少からの憧れのビジュアル系バンドを自主製作で作りました

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私は何になりたいんだろう

私は何になりたいんだろう。
私はどんな人間でありたいんだろう。

私の人生は、あまりに整理整頓ができていなくて、汚くて、暗くて。
この人生という部屋を、リフォームして、明るくして、ときめかないものは全部捨てちゃって、大好きなものだけで溢れさせたい。
こんまりメソッドは、人生にも適用できますか?

私は昔から、「女」になりたかった。
「女」じゃなかったから。
私は女じゃなかった。女の身体を持っていた

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中学生の社会勉強

中学時代の話である。
そこでは遂に本格的な「お勉強」が始まった。

そのお勉強の中で最も私を驚愕させたのが、社会の授業で習った憲法、特に基本的人権の尊重という項目である。

私はまず、このような理想が国によって定義されていることに驚き、次に、そうした理想が何十年も前から規定されているにも関わらず、一中学校の中でさえ、それが叶えられていない現実に驚いたのであった。
つまりは私の在籍していた田舎の公立

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特撮はいかにして少年の人格を陶冶するか、或いは青年の心を打ち砕くか

「平成ライダー」という特撮のジャンルに出会ったのも、小学生のときであった。
それは、勧善懲悪を基軸としたストーリーを破壊したという点で、私の人格形成に大きな影響を与えた。

この特撮シリーズの多くの作品は、子供達のヒーローである仮面ライダーが、味方にも敵にも存在するのである。
そのストーリーの中で、私は正義とは何かについて大いに考えた。
そして、主人公に敵対する仮面ライダーを解釈することに必死だっ

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ラジオの思い出

小学生時代の思い出の一つは、ラジオである。
私の家庭は、(これからもこういうエピソードは多々出てくると思うが)甚だ過保護であり、小学生だった私の就寝時間は20時であった。
当然、いくら遊び疲れた小学生であっても、そのような時間帯に眠りにつけるわけがない。
私は、部屋が暗くなったあと、眠くなるまで時間を潰す便宜が生じたのである。

そこで、母が私に与えたのがラジオであった。
そこから聞こえてくる音の

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バイバイバタフリー

小学校三年生くらいのときの話である。
私は自宅の庭にあるミカンの木で、蝶々の幼虫を発見した。
この発見は小学生の私にとってまさしく「出会い」とも呼べるもので、しばらく私は息をすることも忘れその幼虫を眺めていた。
(この「出会い」の感覚は、大学生になり美術館に通い出した私が、そこで目にする絵画によっても想起されることになる。)

好奇心以上の何かに突き動かされ、私はその幼虫を飼育することを決めた。

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