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「バッチリです!」の一言が嬉しかった

私が今年に入ってからまだ「何もない人」である事は、ぱっと見では分からない。

誰とも会っていない、誰とも関わらない年始、体感2日程で、今年最初の三連休に入り、今年最初のちゃんとしたお出かけをした。

電車に乗って数駅の、楽しそうなイベント会場へ。

そこには若い人も熟練した人もさまざまで、私くらいの中間世代が逆に浮いている気分になるけれど、きっと私はそんな風には見えていない。

私はぱっと見ならいくらでもごまかせる。


私はご先祖様から良いビジュアルをもらった。

それは美人というわけではなく、化粧をしてそれなりの服を着れば、それなりにそれっぽく見えるだけ。大したことではない。

私の祖母なんかは、派手に着飾ればその着飾り以上にオーラを放つ特異体質を持っている。どういう遺伝子なのかは説明がつかないが、我が家は着飾り次第でどうにでもなる。

それが好転する出来事の一つが、人助けをしても拒否をされないことだ。

藁をも掴もうという人を除いた状況であればあるほど、助けようとしたら怪訝そうな顔をされたり、「やっぱり自分でなんとかします」と遠回しに拒否されたり。

そんな話を聞くたび、毎度確実に受け入れてもらえる自身の遺伝子のありがたみを感じる。


三連休中のイベント終わり、私は少しだけ人を探してキョロキョロしつつ、動くとかえって邪魔になるほど人でごった返している空間なので、しばらくその場に立ち尽くすしかなかった。

私の隣では、若い団体さんたちの「記念写真を撮ろうよ」という言葉や動きが聞こえたが、片耳で聞き流していた。

私は、ただ一人で少しだけ人を探しているだけ。

団体さんの「記念写真を撮ろうよ」から数秒、その場に動きがない。

それまで騒がしかった場所が大人しくなると、異変を感じ取ってついそちらを見てしまう。

団体さんは、全員が撮られる側の人たちで、その中の一人がスマホを横に持って辺りを見渡していた。

確実に、「私たちを撮ってくれる人募集中」のポーズだ。

スマホを持つ人と目が合ってしまった。

私はこれを面倒な仕事だとは思っていない。

過去に、このような状況で写真を撮ったつもりがうまく撮れておらず、たくさんの人にもう一度集まってもらって再度撮影する、完全なる二度手間を食らわせてしまったことがある。

私は慣れない機種のスマホ操作が極度に苦手なのだ、それゆえに、人の写真を撮る事に気後れする。

ただもう、団体さんたちは私しか見ていない。ここは密になっているし、時代はファストファストだし、素早く撮って一旦解散したいのだろう。

私はぱっと見、藁には見えない。

それなりに着飾れば、の遺伝子の私は、どんな機種でも操作できそうな見た目なのだ。

今日、実は着古したセーターを着ているというのに。

私がどんなにセーターを着古しても、近くでしっかり見なければこれがボロボロのセーターには見えないのだ、これが我が家の遺伝子の力だ。

通常、ボロボロのセーターの人は写真をうまく撮れなさそうに見えるものだが、私はそうではない。

今年初めて頭をフル回転させ、この機種の撮影方法を素早く聞き、撮り終えた後はすぐに持ち主に写真を確認してもらった。

「撮れてますか?」

「バッチリです!」

とても嬉しそうな顔をしていらっしゃった。

団体さんが、揃って私に頭を下げてくださった。

私がこの場にいる意味ができた。

人の役に立つという事は自分が生きている意味を肯定することができる。

少しずつで良い、小さな事で良い。

今年も頑張ろう。

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