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浜辺のゴミの意味のメカニズム(1)

 2001年10月、韓国の仁川市で開かれたNEAC10という東アジア諸国で活動するNGOや研究者が意見交換して交流するための小さな国際会議に、僕は富山の環境財団の代表として、海洋漂着ゴミの調査についての短い発表をした。 

① 浜辺のゴミ拾い調査の体験

 富山県では1995年から、浜の近くの小学生たちの力を借りて、浜辺に漂着するゴミについての調査を行っている。浜辺には、洗剤の容器や缶飲料の空き缶や漁具などその他もろもろのゴミが漂着している。プラスチックや発泡スチロールや金属などは耐水性が強く、いつまでも分解されないまま海中を漂い、ときどき浜辺に打ち上げられる。
 夏の海水浴の時期などは、海の家や地元の町内会などがそれらの漂着ゴミを集めて焼却していたりするのだが、シーズンを過ぎるとそのような活動も少なくなるので、浜辺にはゴミがたまる。それに、いくらゴミを拾っても拾っても、次から次へとゴミは浜辺に打ち上げられる。ゴミ拾いの無間地獄におちる。2000年に開かれた海のゴミについてのシンポジウムで専門家が言っていたが、浜辺に大量にゴミがあっても、波や風の作用によって一夜にして全て消えてなくなることもあるそうだ。。。
 
 毎年、小学生たちが行う調査の結果は、集めたゴミの種類や数や重さなどを記録して報告書にしている。1年に1回だけゴミを拾ってその数や量を記録して、その数字にいったいどんな意味があるのか、私も最初のうちはわからなかった。だが実際に子供たちに混じって、高岡市内の海岸でゴミ拾いに参加して、その後の分別と計数・計量を見学しているうちに、私の中では大変に大きな意識の変革がおきた。

② ゴミとの対話

 実際の調査は、まず浜辺に10mx10mの区画を四つ作って、それぞれの区画をビニールひもで囲み、区画ごとに10数人の子供たちが1時間かけてゴミを拾うということになっていた。ところが、最初選んだ区画にはゴミが多すぎて到底1時間では拾いきれないと主催者側が判断し、もう少しゴミの少ない区画に変えた。こんな小細工をして数えたゴミの数や重さの数字自体にはあまり意味がないのかもしれないと一瞬思った。
 子供たちは、プラスチック、金属、ゴムなど、ゴミを集めた。ゴミを拾っているうちに、雨がちらつきはじめたので少し早めに切り上げて、それぞれにゴミを学校の体育館に持ち帰って体育館に敷いたビニールシートの上で、ゴミの種類ごとに仕分けして数を数え、それぞれの重さを計った。

 僕は体育館の中でうろうろしながら、自分では何も作業はせずに、子供たちがひとつひとつのゴミを仕分けし、数を数え、秤で重さを測るのを、ぼんやりと見ていた。作業をしているところに近づいて、ゴミを手で持ってみると、ゴミには意外と軽いものが多い。そうか、だから海に浮いて、流れてきたのだ。また、プラスチック類には、けっこうな年月たっているように見えるものもあった。これらのゴミは、何年も何十年も分解されることなく、海の中をさまようのか。

③ ゴミはすべて人間が捨てたもの

 そのとき、はたと気がついた。海岸で拾われてきたこれらのゴミは、すべて一旦誰かがそれを買い求めて、中味を使ったり食べた後で、故意や過失によって、海に流れ込み、ゴミとなったのだ。いうならばこれらのゴミの責任は全て人間にあるのだということに。

 ちょっと想像してみてほしい。心ない人が海の中に投げ捨てたゴミもあるだろうが、たまたま道路に落ちたペットボトルのフタや空き缶が、雨水によって海まで運ばれるということも結構あるに違いない。川に流れても、雨水溝に流れ込んでも、結局最後は海にたどりつく。波や風の作用によって、浜辺のゴミの数が減ることもあるけれども、それはゴミが海洋中に戻るだけのこと、あるいはどこか別の浜に打ち上げられるだけのことであり、一見浜辺はきれいになったように見えるけれども、海洋のゴミ汚染は変わらない。
 浜辺のゴミの問題は、目に見える浜辺の問題ではなく、目に見えない、手の届かない海洋全体の問題であったのだ。ビーチの清掃は、人間の目につきやすいところだけを掃除するだけで、その場かぎりの局所的で皮相的な自己満足にすぎないのかもしれない。もし本気で清掃をする気ならば、浜辺ではなく、地球上の13億立法Kmの海洋水と海底の清掃が必要となる。
 さらに浜辺で子供たちが集めたのは、とりあえず目に見え、手で触ることのできるゴミだけだった。海洋には、それ以外にも、合成界面活性剤やPCBなどの有機化学物質や化学薬品やカドミウムや水銀などの重金属などが流れ込んでいるが、それらは目に見えにくい。そのうえ、いったん海洋中に混ざったこれらの有毒物質を海水から取り除くことは不可能だ。これらの化学物質や重金属による汚染まで考えると、これは極めて重大かつ深刻である。
 たとえば、浜辺でゴミを野焼きしている風景をときどき見るが、ひと雨くればそこで発生したダイオキシンはそのまま土中や海洋中に流れ込むことになる。これも実に恐ろしいことではないか。
   
(次回に続く)

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