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「お金に人生を振り回された」不動産会社社長の私が天職に巡り合うまで

新生都市開発株式会社 代表取締役の永尾です。

今回から2回にわたり、自分の半生について赤裸々にお話ししたいと思います。実はこれまで私は、自分という人間について、あまり人前で語ってきませんでした。ですが、この機会に人生を振り返り、自身のアイデンティティを包み隠さずお伝えしようと思います。

前編では、幼少期から起業を志すまでの、葛藤と苦悩の道のりを振り返ります。


「すべての原因はお金」幼少期の悲しい記憶

「不動産会社の社長」というと、恵まれた家庭環境で育った人間をイメージする方が多いかもしれません。でも、私の場合はそうではありませんでした。幼少期の頃から、「お金に人生を振り回されてきた」と言っても過言ではないと思います。

私の母は、料亭旅館の女将を務めていました。集団就職で田舎から出てきて、16歳から定年まで勤め続ける、「真面目」を絵に描いたような働き者の人でした。

一方、父はそんな母とは対照的な人でした。職を転々とする上に、ギャンブルで借金を作ってくるのです。父が家賃を使い込んだせいで、住んでいた家の賃料を払えず、やむなく引っ越さざるをえなかったこともあります。そんな父ですが、子どもの私にとっては、とても優しい父親でした。

物覚えがついた頃には、両親はよく夫婦喧嘩をしていました。幼いながらも、「お金が原因なんだろうな」とうっすら感じたことを覚えています。成長して自分が中学生になる頃には、父のことは反面教師として捉えるようになっていました。


仕事を転々とし、「お金」に振り回された10代

勉強が嫌いだった私は、高校2年生のときに学校を中退し、働くようになりました。しかし、どんな仕事をしても3ヶ月と続きませんでした。というのも、少しでも仕事に面白くない要素があると、「一生続けるのは無理だ」と、すぐに辞めてしまっていたからです。「0か100か」と白黒はっきりつけたがる、私の性格が災いしていました。

建築・飲食・運送業など、ありとあらゆる業種を何十社も経験し、仕事を転々とする時期が続きました。周囲の友人からは、「英次、そんなんでほんまに大丈夫なん?」と、真剣に心配されたこともあります。母からも「生活するためにお金いるんやから、仕事しいや」と言われていたものの、自分の価値観にハマらない仕事は、どうしても続けられませんでした。

そんな状態が続いた私は、いつしか母からお小遣いをもらうようになっていました。遊び盛りの10代。友達と遊ぶと、お金はすぐになくなってしまいます。

「もう今日は遊ぶお金がないねん」

そう言うと友人は、「しゃあないから、ちょっと貸したるわ」とお金を貸してくれました。私は友人の厚意に甘え、少しずつ少しずつお金を借りるようになっていきました。借りたお金がなくなると、また違う友人にお金を借りる。そんなことを繰り返すうち、ついには借りたお金を返済するために、母からお金を借りるようになっていました。

そのとき、ハッと気づいたのです。

「僕、親父と同じことしてる…」

反面教師にしていた父親と自分の姿が重なり、そんな自分が心底嫌になりました。

「こんな風にお金に振り回される人生は嫌や!自分で人生を選び取って生きていきたい…!」

そうして、「仕事に精魂込めて取り組もう」と気持ちを入れ替えた19歳のとき、巡り合ったのが退去交渉を伴う不動産事業でした。


「この先一生、退去交渉の仕事をし続けたい」

とある不動産会社で先輩の業務に同行した際、私は初めて退去交渉の仕事を目の当たりにしました。交渉に赴いた同僚の口調は冷たく、退去を迫られた入居者は明らかに怖がっているように見えました。その様子を見て、

「自分だったらもっと別の交渉の仕方をする。相手が納得できる形で、話を進められるはずだ」

そう感じていました。交渉を伴う仕事を、過去に担当したことはありません。しかし、無意識に提案方法や話法を考えてしまう自分がいました。

その数ヶ月後、私は担当者として退去交渉に臨みました。以前の同僚とは真逆の方法で交渉を進めた結果、なんとか入居者に納得していただけたのです。そのとき、私はこれまでにない、大きな達成感に包まれました。その瞬間を、今でもありありと覚えているほどです。

当たり前ですが、退去依頼をポジティブに捉える人はいません。ですが、自分の姿勢や交渉方法によっては、入居者にスムーズにご納得いただき、気持ちよく協力していただける可能性が残されています。

「もっとこの仕事を極めたい」

初めてそう直感しました。そこで私は、退去交渉に特化している不動産会社に転職し、経験を積み、スキルを磨いていきました。仕事はとにかく面白く、それまでに経験したどんな仕事よりも、ダントツで夢中になっていきました。

「一生この仕事をし続けたい」

10代の頃は想像もできなかったほど、仕事にのめり込んでいる自分がいました。

一方で、労働環境はお世辞にもいいとは言えず、理不尽なことが絶えませんでした。特に耐え難かったのが、案件のメイン担当である自分の意見を、上司に聞き入れてもらえなかったことです。

「この中で一番仕事できるのは絶対僕や。今に見てろ…!」

叩き上げの根性で仕事に取り組んでいた私は、最初の数年間は労働環境についてさほど気になりませんでした。ですが、ストレスは自覚なく溜まっていき、そのうち人が変わったように、態度や言葉が荒々しくなっていきました。そのことに気づいたとき、

「もう転職しよう」

そう考えました。しかし、いざリアルに転職をイメージすると、「同じような組織の問題は、どの会社でも起こってるんじゃないか…?」と不安がよぎったのです。

「どこに行っても同じなら、自分で会社を立ち上げた方が早いんじゃないか?むしろ、自分の理想の会社を作って、どこまでやっていけるものなのか……挑戦してみたい」

そうして起業を決意しました。

後編へ続く)


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