「正しい子育て」よりも、「しゃーない奴や、でもオモロイやっちゃ」と思ってもらえるように

(「正しい子育て」をしないと他人からその瑕疵を指摘されるのではないかと恐れ、子どもを生む気にならないという意見に対し)

俵万智さんは、東京で暮らしていたころ、「よそ様にご迷惑をかけないよう」に子育てしていたそうです。「正しい子育て」をして、他人から後ろ指刺されないように、とお考えだったのでしょうね。しかし南の島に移住すると、いろんな方が子どもを釣りに連れて行ってくれたり。

「ご迷惑をおかけして申し訳ない」というと、けげんな顔をされたそうです。いや?何が迷惑なん?みたいな感じで。それで俵さんは、子育てについて考えを変えたそうです。「迷惑をかけないように、ではなく、こいつなら迷惑かけられてもいいや、と思われるような子に」と。

私は周囲に迷惑かけっぱなしです。子どもについても、いろいろ周囲にご厄介をおかけしています。で、世話になった時に「うわー、ありがとうございます!本当に助かりました!」と驚き、喜び、感謝します。すると不思議なことに、大概の人が「このくらいのこと何でもないよ」と言って下さいます。

さらに不思議なことに、みなさん喜んで私や子どもの至らないところを補ってくださいます。私なんか、職場でものすごくポカが多いのですが、みなさん笑いながら「篠原さん!また忘れていますよ!」と指摘してくれます。私は「よくぞ教えてくれました!」とその配慮に驚き、感謝します。

迷惑、厄介をかけた時にそれを自発的能動的にフォローしてくださる方が現れることの奇跡。私はそれに驚き、喜び、感謝します。すると不思議なもので、みなさん、次からも「また篠原忘れている。しゃあないやっちゃな」と笑いながら欠点を補ってくださいます。

それはたぶん、私をそうしてフォローしてくださることの「奇跡」に、私が驚き、喜び、感謝するからなのでしょう。そういう人間には不思議と、欠点や至らぬところもひっくるめて「しゃーないやっちゃけど、それもひっくるめてオモロイやっちゃ」と受けとめて下さるようです。

子どももそう育ってくれるといいな、と思っています。家族の会話では、「あのとき、こんなポカをしたんだけれど、○○さんがこうフォローしてくれて」と体験を紹介し、「ありがたいねえ」とみんなで感心することしばしばです。子どもたちがそれを聞いて、

他人が親切にしてくれることの奇跡に驚き、喜び、感謝する人間に育ってくれたらなあ、と思います。そういう人間は、多少の欠点があっても「しゃあないやっちゃな、でもオモロイやっちゃ」と愛されることが多いように思います。

人間はしょせん人間。完璧を目指してもどこかに欠点が現れます。もしうまく完璧をやりおおせたとしても、完璧だからこそいけ好かない、ということもあります。それよりは、他者が優しくしてくれることの奇跡に驚き、喜び、感謝することの方が重要なのではないか、という気がしています。

私の失敗をフォローしてくれてありがとう。子どもに優しく接してくれてありがとう。足りないところを補ってくださってありがとう。そのように、他人が自分に、子どもに優しくしてくれることの奇跡に驚き、喜び、感謝する。そのことの方が、完璧を目指すよりよほど重要なのでは、という気がしています。

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