失敗しちゃいけない、という呪い

「そこ、みんな失敗するんだよね」と声をかけると「みんな失敗するならそのままでいいや」と努力しなくなるからよくない、という指摘が複数。
残念ながらここにも、二つほど呪いが隠されているように思う。失敗は克服されねばならない、という呪い。失敗を放置するのは怠慢である、という呪い。

いよいよ修学旅行も近いというのに、そして体に特に異常がないのに、子どものおねしょが直らないという場合、面白い方法があるという。寝る前にたくさん水を飲んで、ジャンジャンおねしょを楽しもう、というもの。おねしょをしちゃいけない、克服しなきゃいけないと思ってたのを、逆転させる。

水をたくさん飲んでるので、おねしょして当然、むしろおねしょしない方がおかしい、という状態にし、しかも「さあ、どんなおねしょになるかな?」と楽しみにする。すると、不思議なことが起きる。おねしょしちゃいけないと思っていた時は結果に思考がしばられ、尿意という感覚を観察できなくなってる。

しかしおねしょして当然、むしろジャンジャンおねしょしよう、という状態に置かれることで、おねしょする過程を楽しみながら観察できる。それにより、尿意という体内感覚を敏感に察知することができるようになる。「あ、おねしょする直前、こんな感覚になるのか」。

おねしょしちゃいけない、という恐怖がなくなり、おねしょしてよい、という環境を与えられたことで、おねしょという現象を観察する事を楽しむ余裕が生まれ、観察するからこそ、おねしょのメカニズムが体内感覚から理解でき、トイレに行くとよいタイミングも見計れるようになる。

こうして、寝る前に水をたくさん飲み、おねしょしたらよい、と言われ、それを実践すると、ほどなくおねしょが治ってしまうのだという。面白いなあ、と思う。
真面目な先生は、ピアノの練習曲に失敗があるとそれを指摘し、悔しがらせ、早く直したい、と努力させようとしたくなる人もいるようだが。

かえって「失敗したくない」という恐怖に思考が囚われ、体が硬直し、失敗しやすくなるように思う。
失敗してもいいや、失敗し続けてもいいや、というぬるーい対応の方がよいと思う。むしろ失敗するのが当たり前、気にしない、というズボラくらいでよい。すると安心して失敗できる。

安心して失敗できれば、たくさん失敗を重ねることができる。失敗を楽しめれば、失敗の観察を楽しめる。たくさん失敗し、失敗の観察を楽しむことで、たくさんのデータをとることができ、逆説的に、失敗しない道を発見できるようになるのだと思う。

人工知能に物をつかむという学習をさせる場合、うまくつかめずに落とす、という失敗を膨大に学ばせるのだという。その膨大な失敗の蓄積のおかげで、上手くいく方法の輪郭が浮かび上がるから。失敗を学ばせないと、臨機応変ができないのだという。

失敗しちゃいけないなんていう呪いも、失敗を嫌がらないのは怠慢だ、なんていう呪いも、いらないのでは。失敗したっていいじゃん、むしろせっかく失敗したんだから観察して楽しもうぜ、というくらいがよいように思う。失敗を恐れるどころか楽しむようになれば、失敗をたくさん積める。

失敗をたくさん観察すれば、膨大なデータベースが積み上がる。その結果、逆説的に、失敗を回避する方法が発見できる。
だから、失敗して構わない、と思うことって、とても大切だと思う。失敗はむしろ楽しんでしまえ、くらいがちょうどよいと思う。すると逆説的に、失敗しない道を見つけるから。


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