遺伝子と環境

遺伝子で才能の大半が決まる、という考えは根強い。遺伝子は重要だとは思う。けれど、あくまで「環境と遺伝子」のバランスで決まるものだと思う。
私はある酵素を大腸菌に大量に作らせようと、遺伝子を導入したことがある(大量発現系)。その実験はうまくいった。酵素を大量に作り出した。しかし。

その遺伝子組換え大腸菌を培養し続けると、酵素を作る量がどんどん減り、ついには作ってるのかどうか分からなくなった。遺伝子が強力に働くよう薬剤(IPTG)を加えてもダメだった。その酵素を作ることが大腸菌にとって何の役にも立たないから、作らずに済むシステムが動き始めたのだろう。

その実験とは別に、クオルモンという物質を分解できる菌を探す実験を行った。すると、様々な菌がクオルモンを分解する酵素(エステラーゼ)を作るように。菌によって強弱はあるけれど、エサがクオルモンしかない(単一炭素源)状況に置くと、そうした「才能」が否応なしに発揮された。

また別の実験の話。木材というのはとても分解しにくい物質、リグニンというのを含んでいる。そこで多くの研究者は、リグニンを分解するのが得意な、「才能」ある微生物を見つけ出した(白色腐朽菌)。で、その才能豊かな白色腐朽菌を木の切り株にぶっかけると。

3日もするとその菌は土着の微生物に駆逐され、跡形もなく消えてしまう。もちろん木の切り株は無傷。
しかしここで面白い方法がある。切り株の周りに、炭素は含まないけどその他の養分をたっぷり含む肥料をまく。すると土着微生物が切り株を分解し、数ヶ月するとボロボロになる。

これは、肥料に炭素以外の養分がたっぷり含まれているため、土着微生物からしたら「あと炭素さえあればパラダイスなのに」という環境。そして、木の切り株は炭素のカタマリ。で、土着微生物から木を分解するのが得意な微生物が立候補して、みんなのために炭素を切り出して来る。

みんなはその微生物のために肥料に含まれる他の養分を運んでやる。こうして土着微生物全体が切り株を分解するために協働して動くから、木の切り株はボロボロに分解される。
リグニンという分解の難しいものを分解できる、優秀な「才能」のある微生物もできなかった偉業を、環境がうまく誘導。

遺伝子というのは、遺伝子組換え技術が発展した今も、そうたやすくは利用できないしろもの。それに、優れた遺伝子を入れたつもりになっても、環境がそぐわなければその遺伝子は引っ込んでしまう。他方、環境さえ整えば強弱はあれど、持ち前の才能が引き出される。微生物でさえ。

「優れた才能」も、試験管培養で、その菌だけが生きてる純粋培養ならいかんなく発揮されるけど、他の微生物と混ぜた途端にその「才能」が発揮されなくなることも多い。とある菌は、単独で病原菌と向かい合わせると病原菌の増殖を抑えることができる(拮抗菌)。けれど、大半の拮抗菌が。

第三者的な微生物を混ぜた途端に病原菌を抑える力を失ってしまう。拮抗菌としての才能は、病原菌以外の微生物がいる環境では働かない。
他方、私達が見つけた微生物は奇妙で、単独だと病原菌を抑えないクセに、他の微生物とペア以上を組ませると病原菌の増殖を抑えた(創発的拮抗作用)。

単独で見たら無能に見える微生物が、他の微生物とコラボすると思わぬ能力が引き出される。そんなこともある。
微生物を見るだけでも、遺伝子だけでは決まらない、とつくづく思う。環境要因がものすごく大きい。それはおそらく、生命というものがそういう風にできているからだろう。

環境とか、他者との関係性の中でどんな機能を自分は発揮するか。生態系全体が発展する中で自分も定位置を得ることができるように、関係性を調整し、生態系全体で環境変化に適応していく。そうした生き方を生命はしてきたからだろう。

遺伝子で決まる「才能」は、通常は環境に適応し、関係性を築く中で「程よく」発揮するものなのだろう。もしみんなに危機的なことが起きたら特化して発揮されるとんでもない才能もあるが、それは資源としてストックされ、普段は使わないで済ませていることも多いように思う。

才能というのは、環境の助けなしに引き出されることは少ないように思う。環境が悪ければすごい才能も引っ込むし、環境が引き出すなら乏しい才能も最大限引き出される。才能は環境との協働で生み出されるものではないだろうか。

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