自己肯定感を高めようとして自己不寛容に陥る

ほめたら自己肯定感が高まる、なんて書いてる本や記事をよく見かけるけど、本当はダメな自分を容認、許容できることの方が大切。
施設では行儀もよく、トイレも問題なかった子どもを養子や里子として受け入れる場合、覚悟しなきゃいけないのが赤ちゃん返りだという。

お箸で食べられたはずなのに食べさせてとせがむ、トイレは失敗が続き、オムツにしてもらいたがる、言うことをよく聞く子だったのにわがまま気ままを言うようになる。こうした「お試し行動」が出てくるという。

赤ちゃんみたいに何もできない、ただ世話をしてもらうだけのみっともない行動をしても、この人はずっと親でいてくれるのだろうか、と。
ダメな自分、みっともない自分をさんざんさらけ出してそれでも関係を切ろうとしないと確信が持てたとき、ようやく親子になれるのだという。

自己肯定感と呼ぶなら、ダメな自分、みっともない自分を容認、許容できることなのだと思う。もし自己肯定感を、肯定しやすい面で肯定することを強調することで得られると考えたら大間違い。むしろ肯定しづらいみっともない自分、情けない自分を許容、容認できることの方が大切。

流行してる自己肯定感は、肯定しやすい面をほめること、肯定することで増強しようというパターンのようだから、もしかしたら自己不寛容を促しているのかもしれない。ダメな自分を許せない。マジメじゃない、努力しない自分を許せない不寛容。昨今の自己肯定感は自己不寛容なのかもしれない。

自己肯定感という字面がよくない気がする。肯定という言葉は、肯定しやすいことにしか使いづらい言葉。努力家、マジメ、明るい、などなど。肯定しやすい側面にばかり光を当てたくなることばだから、そうした誤解が起きやすいのかもしれない。

私はもっと、情けない自分、みっともない自分、努力もしなければすぐ逃げたくなる自分も許容し、容認し、「そうか、お前も人間なんだな、ハッハッハ」と笑っていられることの方が大切なように思う。みっともない、情けない自分を許容し、容認しよう。まずはそこから。

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