新しい研究ネタを見つけるには?

灘中学の生徒から、「新しい研究ネタを発見するにはどうしたらいいか」という質問をもらった。とてもよい質問だと思う。そのときどう答えたかも含めて、少し考えてみたい。

私は今の研究機関に来る前に大学の先生をやっていたからか、「自分で研究テーマを決めて」と言ってもらえた。そこで私は半年時間を頂き、ひたすら論文を読みまくった。まだ誰も手をつけていない分野で、しかも不器用な私でも研究できそうなテーマはないか、と。

その半年の間に、いろいろ予備実験も重ねていた。その中で一つ、本気でやろうとしかけた印象深いテーマがある。彼岸花。この花はなぜ田んぼの畔に咲くことが多いかというと、モグラがこの花のニオイが嫌いで近づかないからだ、ということを証明した論文があるという。

それは面白い!と思い、論文をあさりまくったら、どうやらその噂の元になった論文に行き当たった。その論文は、ヒガンバナに含まれる毒の正体を突き止めたものだった。そしてその論文の中に、「モグラがこの花を嫌うという伝説がある」と紹介されていた。そう、紹介されていただけ。

モグラがヒガンバナを嫌うという証明をした論文ではない、というのが確認とれた。でも、その伝説があるということは、何か理由があるのだろうか?近くにごんぎつねの里があり、ヒガンバナの群生があった。その保全をしている人に、その伝説のことを紹介した。すると。

「そこ、ヒガンバナの群落をモグラが突っ切っているよ」と。え?あ!本当だ!というわけで、ヒガンバナでモグラ除けという研究テーマはお流れに。
私は2つ、それなりの成果を出した研究テーマがあるが、実はそれにたどり着くまでに死屍累々。失敗だらけだった。

でも、当時の私は失敗に終わったけれど、「あのテーマは料理の仕方を変えれば面白いんじゃないか」というのが今もたくさんある。そうしたネタを、私はネタ帳にずっと書き留めている。私が研究成果を出せた2つのテーマも、そうしたネタの一つだったもの。

ここで「失敗」のとらえ方が重要。研究者の中でも「これは失敗に終わった、やるだけムダ」といって放り出す人がいる。私はこれ、非常にもったいないと考えている。失敗とは、こちらが考えていた理論通りに事が進まなかったということ。ということは、違う理論がそこに存在する可能性がある。

だから、むしろ失敗した時こそ何かを発見するきっかけになる。失敗したらなぜ失敗に終わったのか、その原因を探ることが重要。原因を探ると、自分があらかじめには想定することができなかった別の条件が潜んでいて、それが想定通りにいかなかった原因だと分かる。自分の知識の不十分さが分かる。

失敗し、その原因を探ることで「ああ、だからかあ!」と深く納得できる。そうして学んだことは忘れない。強く印象に残る。だから、失敗したらしゃぶり尽くすようにその現象を突き詰めて調べたほうがよいように思う。そしてそこから新たなアイディアのタネを発見することが多い。

「ここが原因で失敗したのか。だとしたら、ここを別の方法でどうにかしたらうまくいくんじゃないか?」そうして、失敗を新たな仮説を立てるための肥やしにすると、いつしか新しい技術を生み出す原動力になる。失敗こそが新しい技術を生み出す大切な情報源になるのだと言える。

何か一つ成果を出すためには、失敗しなければならない。むしろ失敗したら喜び、それを楽しむくらいのほうがよい。すると、課題解決力がどんどん磨かれ、成功する道筋も見えてくる。失敗を楽しむことこそ、研究者に求められる資質かも知れない。

「こんな思ってもみなかった失敗をせっかく経験できたんだから、ちょっと調べさせてくれよ」というような、楽しむ姿勢が大切。すると、新しいネタはどんどん発見できるように思う。

成功はむしろ、研究者にとっては終着点に来てしまったことを意味する。つまらないこと、と考えるくらいでいいと思う。「あーあ、失敗の原因を突き止めるという楽しい旅も、これで終わりかあ」という感じ。うまくいってしまったら、また次の失敗の旅を始める。それが研究者なのかもしれない。

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