なぜ日本は化学農薬を手放せないのか

私は有機水耕を開発するくらいなので、有機農業が日本でも広まってほしいと思う反面、化学農薬を使う慣行農業にもやむを得ない事情があると考えている。理由は、「日本はあまりに高温多湿だから」。

ヨーロッパは有機農業の先進国。アメリカも意外に有機農業が盛ん。そして実は、中国は今や有機農業大国。なのに日本は有機農業はわずか0.5%(耕地面積)。有機農業が一向に進まず、化学肥料・化学農薬を使った慣行農業が大部分を占めている。それは、欧米や中国と違って高温多湿だから。

欧米や中国は大陸性の気候。ざっくり言うと、湿度が低く気温も低め。すると、虫がそもそも少ない。農作物をダメにする病原菌も少ない。湿度が低く気温が低い条件は、有機農業が容易。だって、虫や病気の発生が少ないから。

日本はそうはいかない。代表的なのは梅雨の時期。雨がずーっと降る。しかもそこそこ高温。高温多湿は虫とカビにとってパラダイス。虫がいくらでも湧く。カビがいくらでも繁殖する。無農薬でやろうと思うと、虫とカビをどうやって抑えるかが大きな課題になる。

私は今の研究所に来るまで栽培なんかほとんどやったことがなかった。新人研修で農薬の試験をやることに。対照実験で、農薬をかけないキャベツ苗を置いておくと、それはそれは見事に、コナガの幼虫によって葉脈だけを残して全部食べられた。本のしおりにしたいくらいに美しく。

日本農業がなかなか化学農薬を手放せないのは、正直、分かる気がする。高温多湿でいくらでも虫が湧く。害虫発生を抑えるのは容易ではない。もちろん、有機農業では、天敵昆虫を増やすことで害虫のむやみな発生は抑えることができる。でも、虫食いはなかなか避けがたい。

多少虫食いされていても平気だったり、虫がついていても平気、ならいいけれど、消費者は実のところ、とても嫌がる。芋虫ついていたら野菜ごと捨ててしまいかねない。これでは、なかなか農薬はやめられない。化学農薬使わないと、虫食いのない野菜は難しい。

有機農業で虫食いを避けようとすると、三つくらい対応方があるかもしれない(それ以外があったらご指摘よろしく)。一つは、虫に食われた葉をもいで、虫のいないところだけを出荷する。二つ目に、昔で言う旬の季節に育てる。害虫被害が比較的少ない季節に。

しかし、虫食いの葉をもぐ調整作業は、それはそれは手間がかかる。最近の有機農家は、虫食いの嫌いな消費者のためにこれを怠らずにやっておられるけれど、大変。その手間暇のコストをきちんと価格に反映できないとやっていられない。

旬の季節、たとえばアブラナ科野菜は冬にしか育てない、とすれば、害虫も発生が少なくて済むから、農薬を使わずに栽培できる。しかし旬の季節は同じ農作物が大量に出回り、価格が低迷する。そんな時期に出荷すると儲からない。

もう一つの方法は、防虫ネットのあるハウス内で栽培することだと思う。これなら、気をつけさえすれば害虫の侵入を防ぐことができ、農薬を使わずに済む。ただまあ、虫というのはご馳走のありかを実に見事に見つけ、侵入するのでやはり大変。また、ハウスの設備費も必要。

中国山東省に20年前に行った時、びっくりしたのは、農村部に雑草が生えていなかったこと。はっきり言って砂漠。農作物は育っていたのだけれど、それは用水路からの水を畑作物には与えていたから。雨もろくに降らないから、畔には雑草一本さえ生えていなかった。カルチャーショック。

日本なんか、田畑の畔にグングン雑草が伸びる。定期的な草刈りが欠かせない。除草剤をなかなかやめられないのも、高温多湿な日本では雑草がいくらでも伸びるから。ところが中国山東省では、雑草がそもそも生えていない。生えられない。だから虫の居所もそもそもない。

大陸はこのように、雑草も生えていなければ虫もいない、乾燥しているから病原菌のカビも発生しにくい、という「好条件」があって、化学農薬を使わなくても病害虫の被害を回避できる。だから有機農業を簡単に推進できる。日本はなかなか、それが難しい。

私は、有機農業の手前に、「肥料はすべて有機肥料だけれど、化学農薬はほんのちょっぴり使わせて」という農業を「循環型農業」として位置付けるの、アリだと思う。化学肥料をやめるのは技術的に比較的容易。でも、化学農薬をやめるのは、高温多湿な日本では厳しい。

天敵昆虫を使って害虫を抑える方法がある。ただしこれは、ハウスのような屋内栽培でないと無理。オープンな屋外だと、土着昆虫に天敵昆虫が駆逐されていなくなってしまうから。農薬をやめる、ないし減らすには、防虫ネットを張ったハウス栽培が有効。

これは微生物農薬を使った栽培にも言える。微生物農薬も、屋外栽培(露地栽培)だと、土着微生物に駆逐されて、病原菌をやっつける微生物がいなくなってしまい、効果が出ない。外部の環境と若干遮断した、防虫ネットのハウス栽培が有効。

コメを育てる田んぼは・・・ハウス栽培、無理。コメは比較的、冷害とか雨の多い年でなければ、無農薬でも結構育てられるようだけれど、もし冷害とか雨が多いと、イモチ病という厄介な病気で大被害が出る恐れがある。

カビの中には、マイコトキシンという猛毒を作るものがあることで知られる。マイコトキシンは、発がん性においてトップクラスの猛毒。化学農薬の害よりはるかに有毒。カビで被害が出るくらいなら、化学農薬をかけた方が、毒性でははるかにマシ。

※稲の病原菌で人体に有害なマイコトキシンを作るものは今のところ確認されてないのでご安心を。

日本と同様、高温多湿の国、たとえば東南アジアなどでは、有機農業の実施には苦労している。病虫害の被害が出るし、高く売れない旬に育てる必要があるし、虫食いの調整作業は必要だし。大陸の、乾燥冷涼な場所と違って、有機農業の実施はなかなかに困難。

そうした事情も踏まえて、有機農産物を考えてほしい。高くなるの、当然。これを消費者が買い支えないと、有機農業はやっていけない。逆に高く買ってくれるなら、慣行農家も、黙っていても有機農業にシフトしていくと思う。
ただ、今、一般消費者が苦しい。

長く打ち続いたデフレ経済で賃金が低下、収入が低くなり、農作物を高く買う余力が消費者にない。コロナの影響で飲食店に高級食材を出せなくなり、それも追い打ちをかけている。有機農産物を高く買ってもらうこと自体が困難。

化学農薬を減らし、環境への負荷を小さくするためには、まず、消費者が有機農産物を買えるくらいに賃金が増えないといけない。低所得者層が中間層になれば、有機農産物を買い支えることも可能になってくるだろう。それができなければ、なかなか慣行農業はやめられない。

日本は、国民が貧乏なために、化学農薬を使った慣行栽培で安い農作物を生産することを強いられている面がある。しかしそのために農薬の基準を厳しくするわけにいかなくなり、海外でいい加減な農薬の使い方をした農作物が日本に集中的に流れ込むリスクが出てきている。

ヨーロッパは農薬の規制を厳しくすることで、海外から農作物が入りにくくなっている。それがEU域内の農業を守ることにもつながっている。しかし日本は規制が甘くなったので、化学農薬使って安く生産した農産物が日本に入ってきやすくなっている。そして。

貧しくなった日本国民は、そうした海外の安い農産物を買うしか、生活防衛できなくなり始めている。すると国内農産物が売れなくなり、価格が低迷。よけいに化学農薬を使って安く農作物を作る必要が出て…まったくもって悪循環。日本農業を変えるには、国民の所得水準を上げることが必要。

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