能動的に驚かれて嬉しいのは子どもだけ?

ルソーは「子どもの発見」をし、子どもは大人とは全く異なる存在で、大人とは別の接し方を工夫する必要がある、と説いた。これにより、教育学が開花したわけだけど。
私は、ルソーが開拓したこの「子ども」観、大人に拡張した方がよいと思う。赤ちゃんから高齢者に至るまで。

最初に書いた部下育成本は、幼児教育から学んだ手法を紹介している。幼児教育の手法が大人にも通じるとは!という反応を複数頂いた。それまで、大人は大人として扱わねばならぬ、という思い込みから、誤ってきた指導法も多いように思う。

では、それは大人を子ども扱いすることか、というと、さにあらず。人間はどうやら、赤ちゃんから老人に至るまで、「驚かす」のが大好き、という共通点があるということ。そして「驚く」と、赤ちゃんも老人も意欲を取り戻し、喜々として工夫を楽しむようになるらしい。

ユマニチュードという介護の技術がある。それまで暴力的で扱いに困っていた老人に、そのユマニチュードの使い手(フランス人)が、あなたに出会えて嬉しいなあ、といった嬉しそうな目で老人に近づく。あなたの手に触れていいですか?と、身振りで老人に尋ねる。目容でゆるしを得ると、

伏せた老人の手に、下から手を合わせた。老人から目を離さず、あなたの手に触れて嬉しいです、というにこやかな目を向けて。その手の触れ方は、上から握るのと違って、老人の意図で拒否できる形。また、視線を外さずに見ていることから、もし嫌だという思いが老人から出たらやめる形。主導権は老人に。

老人が少し握り返すと、使い手は嬉しそうに驚きの目を示した。こうして、老人に主導権を委ねる形で働きかけ、老人が能動性を示したときに驚き、喜んで見せる、を繰り返すと、どんどん老人は能動的に嬉しそうになり、使い手が帰るときには久しぶりに立ち上がり、Vサインして「グッバイ」と。

乳幼児も、能動的に何かを達成したとき、大人が驚いてくれることでさらに能動的になる。「ねえ、見て見て!」という幼児の口ぐせも、自分の成長で驚かそうという企みから出てくる言葉だと思う。人間は死ぬまで、自分の工夫や能動性で驚いてもらいたい生き物なのかもしれない。

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