政治の話を誰とでも楽しむコツ

日本では政治の話は避けられる傾向が強い。政治の話をすると、そっちに熱心などこかの党派だと思われ、警戒されることが多い。このため、当たり障りのない話題で終始することが多い。これは一つには、日本は「共感を求める」会話形式が多いからかもしれない。

たとえば総理大臣の悪口を言って「ひどいよね!」と水を向けたら「そうだよね!」と共感を示してほしい。そこでもし与党支持者だったりして反論されたら「しまった、悪口言っちゃった、気を悪くしてないかな?」とか、バツが悪くなる。そういう体験を繰り返して、政治の話はしないことを学習していく。

私は結構平気で政治の話をする。しかも自分とは全然政治的信条の異なる人とも平気でしゃべる。向こうも怒ることなく、冷静に話し合えることがほとんど。こちらの言うことが相手の考えと違っていても冷静に聞いてもらえる。
そこに持っていくのに大切なのは、「相手の話をまず聞き、感心すること」。

私はある課題について「どう思いますか?」と尋ねる。政治の話はだいたい皆さん警戒するから、遠慮がちになる。けど、答えてくれたことに反発を見せず、「へえ、そう思われた理由ってお聞かせ頂いてもいいですか?」と、前提を問うと、興味を持ってもらえたと感じるのか、安心してもらえる。

意見が出たらその前提を問う、意見が出たらまた前提を問う。これを繰り返していくと、たとえ自分とは正反対の異見の持ち主であっても、決して素っ頓狂な理由ではなく、それなりに納得できる理由からそうした思想信条になったことが理解できる。それが伝わるから、相手も安心して話してくれるのだろう。

そうして、相手の意見を決して否定せず、相手の寄って立つ理由、根拠に理解を示すと、相手も興味が湧くのか、こちらの意見も聞こうとしてくれる。「私は違う観点から、別の立場を取ってはいるのですが」と話し出すと、相手もこちらの事情を理解しようと努めてくれる。こちらが事情に理解を示したから。

すると、政治的立場、見解が異なる者同士でも政治のことを語り合うことが可能。互いに自分とは違う立場の、異なる考え方の話を聞いて大いに刺激を受ける。「そんな考え方もあるのか」という発見が可能。

だから、政治の話をしたいなら、自分の意見に共感してもらおうとするのではなく、
・相手の意見を聞く。
・否定せず、その意見となった前提を問う。
・その前提があるからその意見に至ったのか、と感心する。
・さらにその前提問う。
これを繰り返すと、政治的信条が違っても話し合える。

これは政治に限らないかもしれない。ともかく自分と異なる意見の持ち主でも、なぜそんな考えに至ったのか、その前提を問うと、それなりの理由がある。ああ、だからそういう意見に至ったのか、と納得できる。自分は異なる体験を持つから同じ意見にはならないけど、その人の言うのもわかる。

自分が優れてるか、相手が優れてるか、という優劣つける発想が私にないのも大きいかもしれない。自分が正しい、優れていると考える人は、相手のおかしいところ、間違ってるところを探そうとする。そして一つ見つけると「そらみたことか」と、鬼の首取ったように喜び、そこで思考停止する。

私は優劣をつけるのはくだらないと思っている。それより「観察」を楽しみたい。自分と異なる意見を持つに至った人がいたら、それは新たな発見ができる可能性が高い。なぜその意見に至ったのか前提、根拠を尋ねていけば、なるほど、そういう理路をたどるのかぁ、と、実際感心する。

自分と同じ意見の人と「そうだよね!」と共感し合うのはつまらない。自分と異なる意見の人の話を聞いて「知らん世界を垣間見れた」の方が、新たな発見、冒険ができて楽しい。そんな語り合いがもっと増えると、政治信条を超えてもっと楽しいと思う。互いに発見ばかりで。

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