単独の優秀さ、タッグを組んだ優秀さ

微生物の研究をしてると、1+1=0になったり0+0=1になったりして面白い。
病原菌をやっつける警察官みたいな微生物は拮抗菌と呼ばれ、農作物を守るために開発が進められているけど、なかなか思うような成果が出ない。拮抗菌を単独で病原菌と対峙させると確かに病原菌をやっつけるのたけど。

他の微生物が混じるだけで拮抗菌は病原菌をやっつける機能を失ってしまう。農業現場は雑菌だらけだから、これでは役に立たない。1+1=0になるというのはこのこと。確かに存在したはずの機能が現場では発揮されない。あれ?これ、人間でもありそうな。一人だと優秀だけど、グループ行動が苦手とか。

逆に、病原菌をやっつける機能なんか持ってなかったはずの微生物同士がペアを組んだとたん、病原菌をやっつける機能を示すようになるものがある。単独では示さないけど組み合わせると初めて現れる現象を「創発性」という。私は創発性拮抗菌と呼んでいる。0+0=1となる事例。

面白いことに、創発性拮抗菌は、他の微生物がいくら混じってきても病原菌をやっつける機能を失わない。単独のときにしかその機能を示さない微生物とは正反対な性質。みんなと協働すると調子がよくなる。これ、人間にもありそうな話。

なぜこんな違いが現れるのだろう?これは恐らく、「クオラム・センシング」という仕組みが関わっている。
微生物は、自分の仲間が多いか少ないかで振る舞いが変わる。ミミイカに共生している細菌は、菌の数が少ない間は光らないが、十分数が増えると光りだす。では、どうやって仲間の数を知るのか?

この微生物はクオルモンという物質を細胞の外に分泌しているのだけど、仲間が少ないとクオルモンは拡散して濃度がなかなか上がらない。でも仲間が増えてギュウギュウになる(密度が高くなる)と、クオルモンの濃度も高くなる。クオルモンが一定濃度(約1nM)を超えると、「仲間多いぜモード」に変化。

単独のときに拮抗作用を示す菌は恐らく、菌密度が高いときに初めて病原菌をやっつける機能が現れるタイプなのだろう。けれど雑菌が混じって自分たちだけが十分に増えることができなくなると、その機能にスイッチが入らなくなるのかもしれない。

では、創発性拮抗菌はどうなのだろう?クオルモンは、他の微生物が作り出したものも感じ取ることができる、情報伝達物質。ペアを組んで初めて病原菌をやっつける機能が現れるのは、自分では作り出せないクオルモンを受け取って、初めて現れる機能が引き出されたのかもしれない。

人間は、「この人に出会っていなければ人生が違っていた」という出会いがあったりする。あの人のあの一言があったから、それまで自分にあるとは思えなかった力が引き出された、ということがある。これは、創発性拮抗菌と似ているなあ、という気がしている。単独では現れなかった性質。

私達は能力というものを単独のものとして測定しがち。でも、微生物も人も「関係性」の中で初めて現れる性質も多い。一人では現れることのなかった意欲や能力が、他者との関係性の中で初めて引き出されることがある。こうした「創発性」を、軽視すべきでない。

これまでの、単独の微生物の能力を調べて拮抗菌として優れているかどうかを調べる試験では、創発性拮抗菌は見つけることができない。しかも単独のときに優秀なヤツは、雑菌が混ざると途端にヘタる。これでは「優秀」とは一体何なのか?という疑問符がつく。

阪神淡路大震災では、旧帝大出身の学生が救援物資管理で大活躍していた。その学生に聞けばどんな物資がどれだけあり、何が余っていて何がな足りないのか把握できた。ボランティアは手分けして足りない物資を調達してくればよかった。ところがあまりの激務にその学生はぶっ倒れてしまった。

その同級生だけど、高卒で職人になった若者が物資管理することに。「とてもじゃないけどあの人のマネはできない。僕なりのやり方でやらしてもらっていいですか?」というので、それでやってもらった。その職人は、物資を種類ごとに分けて山にした。山の大きさでどの物資が足りないか一目瞭然。

旧帝大の学生が管理していた時は、その学生以外は誰も物資の状況が把握できなかった。物資をいじるとその学生が混乱するから手出しできなかった。
しかし職人の方式は、正確な数はわからなくてもざっくりどの物資が足りなくなっているか、誰でも把握できる点で優れていた。物資管理の人材が不要に。

みんなで物資の山に分類すればいい。集団で管理できるこの方式は大変優れていた。こうして考えると、「優秀」とは何か?を考えさせられる。単独で優れていても、他の人が関われないようでは破綻しやすい。しかしみんなが少しわきまえるだけで実践できる方法は、多で対処できる分、破綻しにくい。

私は、社会を元気にするためにはこうした「創発性」が大切だと思う。単独で優秀さを誇っても、それが集団としての活性を下げるなら、意味は少なくなる。多を活性化する創発性は、全体を底上げする。結果的に、こちらのほうが集団としての活性が高くなる。

微生物の振る舞いを研究していると、人間の個や集団も似ているなあ、と思う。人間から微生物との向き合い方を学んだり、微生物から人間との向き合い方を見直したり。相互にひらめきや気づきをもらえる。こうした領域を飛び越えた相似性って、とても刺激的で面白い。

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