食品ロスは「安全余裕」

「売り物にならない曲がったキュウリや、傷物の野菜など、だけどまだまだ食べられるものを売れば、消費者は安く食べ物が手に入り、農家は捨てていたものから現金収入が得られ、食品ロスも減り、ウインウイン、ウインでは?」そんなビジネスはどうだろう、と相談されることがある。

私は「農家の生活を破壊しますよ」と言って、止めることにしている。ほめられると思っていた相談者は、意外な顔をするが、私が次のように説明すると納得してくれる。
農家だって、子どもに教育を授けたいし、老いた両親を病院に通わせたい。それには現金収入が必要。だけどもしクズ野菜を売ったら。

消費者はクズ野菜でお腹いっぱいになり、マトモな値段の野菜には手を出さなくなるだろう。すると、農家が手にできる現金が減ってしまう。子どもを進学させてやることも、親を病院に通わすこともできなくなる。食品ロスを減らそうとして、農家を苦しめることになるんです、と。

食品ロスは非常にいけないもののように捉えられている。しかし私は「安全余裕」として捉えるべきではないか、と思う。
安全余裕というのは、少々のトラブルがあっても大事故につながらないよう、余分に頑丈に作っておくなどの余裕をもたせる、工学的な設計思想だ。たとえば原発は。

少々の暴走が起きても原子炉が破壊されずに済むよう、余分に頑丈に作ってある。もしこの安全余裕を一切なくしてしまったとしたら、ほんの少しのトラブルで放射能漏れを引き起こしかねない。安全余裕は、工学では必須とされる設計思想だ。

食品ロスとは、こうした安全余裕の一種でもある。もし消費者が買い求める需要とピッタリ同じ量の野菜しか作らないようにしたら、ほんの少し足らないとなっただけで価格が高騰しかねない。すると、野菜を買いたくても買えない人が出てきかねない。そんなことのないよう、安全余裕をもたせる必要がある。

ではなぜ農家はきれいな野菜ばかり出荷し、傷物のクズ野菜は売らないのだろう?その方が高く買ってもらえるからだ。高く買ってもらえれば、子どもを学校にやることもできるし、老いた親を病院に通わすこともできる。

「安全余裕」というのは、様々な生物が備えている。たとえばアリは、必ず一定数が働かずに怠けているのだという。面白いことに、働きアリを取り除き、怠けアリだけにしたら怠けアリが働き出す。働きアリを取り除いたら、また怠けアリが働く。

逆に怠けアリを全部取り除くと、働きアリの一部が怠けアリになるのだという。また怠けアリを除くと、またまた働きアリの一部が怠けアリに。働きアリと怠けアリは、一定のバランスを取りうとするらしい。これはおそらく、怠けアリが「安全余裕」なのだろう。

それでも、日本はやたら食品ロスが叩かれてるから、さぞかし世界で突出して食品ロスが大きいのかもしれない。そこで世界の食品の廃棄量を調べてみると。
日本133.6キロ、アメリカ177.5キロ、フランス148.7キロ、ドイツ136キロ、イギリス187キロ。あれ?先進国はみなドッコイか、日本より多い?

食品の廃棄量ではなく、食品ロスで調べてみても、日本50キロ、フランス83キロ、イギリス143キロ(一人当たり)。やっぱり、日本が突出して食品ロスが多いわけではない。
どうやら、食品ロスが問題視されるようになったのは、バブル経済が原因ではないか。

バブル経済では、それまで慎ましかった日本人の生活が一気に贅沢になり、食べ物を粗末にするようになった。このときの忸怩たる思いが、バブル崩壊後も長く続いたからかもしれない。しかし今の日本はそんなに豊かでもない。食品ロスをあまり敵視するのは、かえって安全余裕を失いかねない。

もちろん、食品ロスが大量に出ることは、それを生産するのに必要だった肥料やエネルギーをムダにすることなのだから、減らしたほうがよいには違いない。しかし食品ロスのゼロを目指すのは極めて危険。安全余裕を完全になくすことになり、飢餓が発生しかねない。

食品ロスは安全余裕のため、一定数出る必要がある、必要悪として捉える必要があるだろう。もし食品ロスが出たとしても、それが肥料として田畑に鋤き込まれるなら、必ずしもムダにはなっていない。食品ロスが出ても無駄にしない、という発想に切り替えた方が健全なのかもしれない。

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食品ロスを敵視しすぎることは、食料の安全余裕をなくし、かえって食料安全保障を危うくする恐れがあります。これまであまり語られなかった視点で食料安全保障を考え、まとめました。子どもたちが飢えずに済む社会はどうやったら作れるのか。
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