コメを安く作るのは本当に吉?

日本は「より安く」を長らく追求してきた。そのために、まっとうな価格で食品を買う購買力を失い、世界から食料を調達する力を失いつつあるのではないか。 https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/022700209/022700003/index.html?n_cid=nbpbkp_twed&twclid=2-5ueun647u3eiiqgxboaeg470a

「日本のコメは国際的に見て高すぎる、国際価格でも戦える競争力を持つべきだ」「コメの価格を高く維持することで消費者を損させている、消費者が農家に補助金を出してるようなものだ、価格を引き下げれば消費者の財布にゆとりが出て、消費者に優しい」とか批判がある。とても説得力がある。

コメは高すぎる、もっと安くすべき、という主張は、農業に関するシンポジウム講演でよく聞く。しかし私は、最近この意見に疑問を持っている。
もしコメのような基礎食料が安くなったら、どうなるだろう?短期間には、低賃金の人もたっぷりコメを食べられてよいかもしれない。しかし恐いのは。

コメの安さに慣れると、経営者は「賃金を下げても食べていけるよね」と、給料を下げる誘惑に負けるかもしれない。特に低賃金の仕事は、そうした圧力を受けやすいような気がする。低賃金の人たちに余裕がありそうなら、もっと賃金を下げてもよいというロビー活動する経済人が増えるかも。

竹中平蔵氏の発言はまさにそうしたものだった。「これから厳しい競争社会になる」と不安をあおり、筋肉質な経済にすべきとして、賃金圧縮するような世論になるように導いた。その結果、日本はどうなったか。

海外から食料を買いつけるのに、買い負けする場面が増えてきた。安いものばかり買ってるうちに、少しでも値上がりすると手が出ない貧乏国になってしまった。筋肉質になるどころか、筋肉を削ぎ落としてしまったのではないか。

日本がデフレで苦しんでいる中、ヨーロッパは順調に経済成長を続けると同時に、物価も給料も上昇した。日本なら五百円のワンコインで食べるような食事をしようとしても、2、3倍のお金を支払わないといけないという。食事は普通に二、三千円はかかるという。

日本のテレビの取材で、ヨーロッパの女の子が出ていた。8、9歳くらいだろうか。スーパーに並んでいる、日本から見ると割高な野菜を見て、日本の記者が高いなあ、というと、その女の子は答えた。「でも、そのお金が農家さんの生活を支え、食べ物を作ってくれて、社会が支えられているの」

妥当な価格で買えば、その農家はまともな生活ができる。するとまともな価格でものを買う。すると消費が進むから、経済が回る。10歳以下の女の子でもヨーロッパでは、そうしたいからコンセンサスができているらしい。妥当な価格で買うことは、社会にお金を行き渡らせることにつながるのだ、と。

しかし竹中平蔵氏にそそのかされた日本は、低価格を求めるようになってしまった。売る側も、安く売るのは当然だと考えてしまった。
けれど、たとえば安い豆腐を作って消費者に喜んでもらおうとすると。安く豆腐を作るために、安く大豆を手に入れようとするだろう。

大豆農家は肥料や農機具を安くしてもらおうとするだろう。すると日本で原材料を揃えようとせず、海外の安い原料を仕入れようとするだろう。すると日本の原料会社は潰れて、従業員は仕事を失い、その人たちは安い豆腐も買えなくなるかもしれない。
こうした連鎖が、日本の至る所で起きるようになった。

安く物を売ろう、安く物を買おうとすることは、日本人全体から購買力を奪い、海外から食料を調達する力さえ奪おうとしているのではないか。
だとすれば、本当にコメを安く作ることは、本当によいことなのだろうか?

有識者のことごとくと言ってよいほどの人が、コメは高すぎる、国際価格に近づけるべきだという。それは消費者にとっても喜ばしいことだという。でもそれは本当だろうか。消費者も、多くはどこかの労働者。はたらいて稼いだ給料で物を買う。しかし世の中のみんなが安いものしか買わなくなったら。

いずれ自分の勤める会社でも「企業努力」と言う名の経費削減が行われ、人件費がいの一番にやり玉に上がり、給料が抑えられるかもしれない。そうなれば、消費を減らさざるを得ない。回り回って、低賃金化と物価安が連鎖する。
そうした状態を、日本はここ二十年以上続けているのではないか。

ついに日本の経済体力が失われ、海外の商品を安く感じるどころか高く感じるようになり、安く買うことは不可能になりつつある。なのにいまだに安くしろ、と主張するのは、日本の体力を最後まで枯らすことになるのではないか。

大切なことは、安く売ることではなく、働く人々の給料を上げ、物を妥当な価格で買える社会に戻すことではないか。日本は長らく、竹中氏の巧みな弁舌に騙されてきたのではないか。しかしその結果が、今の日本なのではないか。

そろそろ、誤りをただすべきではないか。安く物を買うのでも売るのでもなく、妥当な品を妥当に売り、妥当な価格で買う。そうした社会にすべきではないか。ここ二十年の常識を、かなぐり捨てるべき時に来たように思う。

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