観察を楽しむ

息子(小5)の昨日の発見。お風呂の栓をギュッと固めにしたあと、抜くとポンという音が。このことから、息子はお風呂の排水口の下の構造は何らかの密閉状態になっていると推測。「そう言えば下水のニオイが上がってこない」ことにも気がついた。二人で話し合ううち、台所のシンクの構造に思い至った。

シンクの下の構造、私も何のためにグニャグニャに曲がっているのか理由が分かってなかったのだけど、「下水のニオイが上がってこないようにするための工夫かあ!」と二人で納得。お風呂の栓のポンという音、下水のニオイが上がらないなどの観察から、思わぬ推理が働いた。

娘(小2)も面白い発見。大きさの異なるスーパーボールを同じ高さから同時に落とすと、同じリズムではねる!大きさ、重さも違うのに!これは意外だった。

子どもと話していると、日常の中に不思議がいっぱい転がっているし、それまで目にしてきたのに気が付かなかった工夫や発見があって、驚かされる。
親がそうして驚いていると、子どもはまた新たな発見をしようと注意深く観察し、気がついたことを教えてくれる。それにまた驚かされる。その繰り返し。

子どもに図鑑や本を読ませようと躍起になる親御さんは少なくない。けれど皮肉なことに、親が熱心に勧めれば勧めるほど読まないというケースが少なくない。少なからずの子どもがアマノジャクだからだろう。それと、子どもは親を驚かせたい生き物だからだろう。

アスファルトの上を歩くカタツムリがいて、息子が観察していた。すると、あることに気がついた。「歩いた跡が途切れ途切れになってる」え?見ると、確かに濡れた場所がスポットになっていて、一筆書きの線になっているわけではなかった。「水分失うのを最小限にしてるのでは?」と息子の仮説。

子どもの観察力を上げるコツ。それは、子どもの発見や工夫に驚くことだと思う。すると子どもは次なる発見や工夫をして親を驚かそうとする。観察とは、それまで気づかなかったこと、知らなかったことを見つけようとする行為。すると、物事の仕組みの理解が飛躍的に深く広くなる。

そうして現実を深く広く観察した体験が豊富にある中で図鑑や本を読むと、面白いと感じるようになる。自分で見つけていたものの、なんと呼べばよいのかわからなかった現象やモノの名前がわかったりして「なるほど、あれはそう呼ぶのか!」と合点がいく思いとなる。

図鑑や本を読ませようとするより何より、日常をよく観察し、観察することそのものを楽しむことが大切なように思う。そのためのスパイスに、親の「驚く」は機能するように思う。親を驚かせようと観察するから。

うちの子は読書もよくする。晩御飯に呼んでも読書をなかなかやめようとせず、「キリをつけろ」と言わなければならない。でもそれは、日常と読書に特に差を設けていないからだと思う。我が家ではゲームや遊びと読書は同じ扱い。どちらも楽しむもの。

本を読むこと、図鑑を見ることと、マンガを読むことにも差をつけていない。どちらも楽しむためにしていることだから。でもどうせなら、新しい発見をしようと、どんなことも観察する。マンガで気づいたことも教えてもらって、驚かされることが多い。

日常も、遊びもゲームも、マンガも読書も、みんな同じ、楽しむもの。そしてそれらが楽しくなる理由は「発見」にある。それまで自分が知らなかったこと、気づかなかったモノに気づくこと。これはどんなことから発見しても楽しい。その発見に驚いてくれる人がいればなおさら。

日常を楽しく面白く。それには発見の喜びを。そして発見の喜びを増幅するのが「驚く」。互いに驚き合い、楽しめばよいのではないかと思う。

「グレッグのダメ日記」を読む娘。何故か浮き輪に埋もれて。

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