「先進国で戦争」なら都会人が飢え、「途上国で凶作」なら農家が飢える

日本は第二次大戦後、都市部で飢餓が深刻化した。都会の人は鉄道に乗り、農村まで歩いて、服や貴重品を差し出して食料と交換してもらわねばならなかった。そのことを記憶する高齢の農家は「食糧危機が来ても我々は大丈夫、困るのは都会の人間だけだ」とよく仰っていた。しかし。

当時と現代とで大きく異なる条件がある。農村人口だ。当時は約半数が農家で、疎開などで農村に住んでいた人も含めると、過半数が農村にいたと思われる。都会に住む人の方が少数派だし、鉄道を乗り継いで徒歩で農村に行かねばならない、という不利な条件が重なっていた。

しかし今や、日本の農家人口は152万人。それ以外の人々は、都会に住む非農家の人間。圧倒的に農家の方が少ない。しかも現代は自動車がある。もし食糧危機が起きたとしたら、(ガソリンをかき集めてでも)自動車に乗って農村へ食料を奪いに行く、という事態も考えられる。

農家1人に対し100人の都会人が、目の前で稲刈りするのを黙って見ているしかない、ということも考えられる。そのくらいに農家は少数派で、都会人が圧倒的多数。だから、農村に住んでいれば食糧危機が来ても困らない、と安心することはできないと考えたほうがよいように思う。

食糧危機が来た時、農村が荒廃すればさらに食糧危機が深刻化する。しかし、農家があまりに少数派の現状では、目先の食料調達のために農産物がデタラメに収穫されるリスクもある。「食糧危機が来ても農家は困らない」は、現代では異なる、という点は押さえておく必要がある。

食糧危機が来ても農村が荒廃しないようにするためには、農耕地を守る「人手」が必要なように思う。その人は必ずしも農家でなければならない、と考える必要はない。非農家だけれど、農村に住む農家と協力的な関係を築いている人でも構わない。

たとえば、「食糧危機が来たら必ず非農家のその人たちに食料を送り届ける代わりに、平時には少し高めの価格で農産物を買ってね」という「戸別食料安全保障」の契約を結ぶのも一つだろう。また、食糧危機の際には、農地の見回りを定期的に協力してもらうとか。

ところで、第二次大戦中、あるいは戦後の食糧難は、主に都会で深刻だったのだけれど、興味深いことに、発展途上国で飢えるのは農家。都会人には飢餓があまり発生しない。つまり、「先進国で戦争」があると都会人が飢え、「途上国で飢饉」が発生すると農家が飢える。

なぜ途上国だと農家が飢えるのか。それは購買力に原因がある。途上国の多くは、農業以外に目立った産業がない。つまり、国民の多くが農家。そうなると、農産物を買ってくれる消費者がいない。だから農家は蓄えができるほどの現金を手にすることが難しい。

もし凶作が起きると、農家は自給自足ができず、食料を外から購入しなければならない。しかしお金がない。やむなく家や畑を売るしかなくなる。しかしその地域の農家は皆同じように家畑を売るから引き取り手がおらず、二束三文でしか売れない。わずかなお金ではすぐ底を尽き、また飢えてしまう。

こうして、店先には大量の食料が売られていても、それを手に入れることができなくて餓死する。途上国で飢饉が起きると農家が飢えるのは、現金を蓄えることが難しいから。そして現金を蓄えられない原因は、消費者がいないから。消費者がいないのは、非農業の産業が育っていないから。

凶作が起きても農家が飢えないようにするためには、農家の作る食料を購入してくれる消費者が育っている必要がある。消費者が育つには、非農業の産業が育っていて、そこから給料をもらえる必要がある。

先進国で農家が飢えずに済むのは、非農業の産業が育っており、農家が現金を手に入れやすく、少々の凶作が起きてもその場をしのげる人が多いからだと言える。あるいは農家をやめ、非農業の仕事につけば給料がもらえて、食料も買える。非農業の産業が飢餓を減らしていると言える。

アマルティア・セン「貧困と飢饉」によると、大量の餓死者を出した大飢饉でも、実は隣の地域に行けば十分な食料があった事例ばかりだったという。凶作は一部の地域で発生しても、国全体で起きることはまずない。もし食料を融通していたら、餓死者は出ずに済んだだろう、という。

農家が現金を手にできるよう非農業の産業が育っているか、あるいは政府が飢餓の発生している地域に食料を回す仕組みを作れるか。そのどちらかが機能すれば農家は飢えずに済む。しかしそれらの機能が途上国では機能しないことが多い。そのために飢饉が起きるのだという。

このように考えていくと、農業の振興に非農業の存在が非常に重要だということが分かる。非農業が元気だと農家は現金を手に入れられる。だから少々の凶作を乗り越えることができる。政府も農家に補助を出す余裕ができやすい。先進国で農家に飢餓が発生しなくなったのは、非農業の産業があるからだろう。

このように、食料を作る農家であれば飢えることはない、とは限らない。食料を買ってくれる消費者が育っていない途上国では、農家が飢える恐れがある。他方、先進国では、戦争になると都会人が飢える恐れがある。こうした逆転現象が起きることを、頭に入れておくとよいかもしれない。

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