底なし沼との向き合い方

自分でなんとかしようとせず、してもらおうとするばかりの人と対すると、なぜゲッソリした気持ちになるのだろう?際限のない要求をされて底なし沼に大切な時間を放り込んでいるような、ブラックホールにすべてのエネルギーを吸い取られるような気持ちにさせられるからかもしれない。

他方、自分でできることは自分でなんとかしようとする人に何かしてあげるのは心地よい。終わりが見えるし、頼られてる感が嬉しい。しっかりしてる人に頼られるのは、こんなしっかり者にも頼られた、という自信になるのかもしれない。

しかし、ただ頼るばかりの人、自分でなんとかしようとしない人の要求は終わりが見えず、恐ろしくなる。この人からは何もかもむしり取られるのでは、という恐怖。しかも、たよられたのを断ったらこっちが悪者にされる可能性大。やってあげたら一応お礼は言われるけど、また次の要求がくる。ゲッソリ。

人に頼ってばかりの人は「与える」ことに意識が弱く、与えてもらうことに強く依存する。こうした人にはあまり近づかないのが無難。エネルギーを吸い取られるばかりで、こちらが疲弊する。ギブ&テイクができない場合、その人と付き合わない方がよい。

どうしてもそういう人にもやったげなきゃいけない時もある。しかし本来自分でどうにかすべきところは自分でなんとかするのに任せる。「それは自分でなんとかしなはれ」が必要。そうでないと自分が疲弊する。そういう人はブツクサ文句を言う。でも、後は知らんと割り切ることも必要。

規準は、自分が笑顔でいられるかどうか。これを続けていたら自分に笑顔が消えてしまうな、と思ったら、それは無理がある。自分がやらなきゃどうしようもない部分だけ果たしたら、さっさと逃げる。笑顔を失えば、結局大切な人たちを守る力も失う。笑顔を失わないようにしたい。

それにしても底なし沼の人は、相手の笑顔を奪ったら自分は全く援けてもらえなくなるという結末をどうして想像できないのかが不思議。

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