物わかりが悪いから言語化が上達する?

ツイッターをやっていて「言語化がうまい」とほめられることが増えた。ただ、不思議な気分。「物分かりが悪いだけなのに」と思っているから。物わかりが悪いから、自分に理解できるように言葉をかみ砕かなきゃいけない。かみ砕いた言葉が「言語化」ということになるらしい。

頭脳明晰な人が案外、言語化苦手なことがある。難しい言葉ばかり使って、それをかみ砕くことができない。「分からないからかみ砕いて説明して」と頼んで出てきた言葉が難しい言葉だらけだったりする。難解な言葉で難解な言葉を説明しようとするから、結局わからない。

私は、その言葉を知らなかった時分の自分にすぐ戻ることができる。「あー、その言葉、私もわからなかったんだよねえ」と思って、当時、私が理解しようとしてかみ砕いた説明を試みる。すると、相手もわかってもらえることが多いようす。

私は、「この言葉が理解できないってこと、察してよ」という思いを小さな頃から抱いていた。でも察してもらえず、分かりやすくかみ砕いてもらえず、仕方なく、自分で後で時間をかけてかみ砕く作業をしてきた。その悔しさがあるせいか、私は「相手はこの言葉、理解できないのかも」センサーが発達している。

子どもや学生、スタッフに説明するのでも、「あ、この言葉、分からないみたいだな、そんな顔したな」と気がついたら、その言葉を別の表現で説明する。普段からそこを気を付けているせいか、それが「言語化」ということにつながっているらしい。

皮肉なもんだと思う。物わかりの悪さが、言語化の力につながるなんて。短所は長所の裏返し、とは言うけれど、もしかしたら、これもその一つなのかもしれない。

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