「〜してあげる」は毒親化への入口

関係性から考えるものの見方、多分第18弾。

教育系の本では「〜してあげる」という表現が非常に目につく。特に教育系雑誌の記事だと、その語尾に修正されることが多い。子どものために〜してあげましょう。
私はいくつかインタビュー記事を書いてもらったけど、語尾がそれになっていたらことごとく修正してもらった。超苦手だから。

「〜してあげる」という言葉は、知らず知らずに次のような催眠術的効果がある。
・私のやってあげることはとてもいいことだ。
・してあげた後、子どもから感謝されるに違いない。
・してあげたら、子どもはこちらの狙い通りに動くに違いない。
・してあげる私って、なんて慈悲深い人間なんだろう。

全部思い込み、勘違い。「〜してあげる」は押しつけがましい。恩着せがましい。「〜して上げたのだからあなたは私の言うことを聞き、かつ、私に感謝しなさい」という押しつけがましさ、恩着せがましさかある。まさか思惑通りにならないなんて思わないから、子どもが思い通りの反応を示さないとき。

怒る。不満でいっぱいになる。一見、とても優しそうだけど思い通りにならなかったら腹を立てるって、「毒親」と呼ばれる行動パターンとそっくり。そう、「〜してあげる」は、毒親的関係性に入り込みやすいアプローチ。なんで教育系雑誌や本がこのフレーズを好むのか、私にはわからない。

それは恐らく、その文章を読んだ親や教師が、「〜してあげる」を読んだとき、自分が菩薩樣か観音様になった気分に、陶酔した気分に浸れるからではないか。読者が気持ちよくなるよう、本や記事を書く人も、知らず知らずに、「そうですよ、みなさんは菩薩樣や観音様になるんですよ」とそそのかすのかも。

しかし私達は煩悩あふれる人間で、菩薩樣でも観音様でもない。思い通りにならなければ腹が立つ。そして「〜してあげる」のに、子どもは思惑通りに全然動いてくれない。変わってくれない。「〜してあげる」は、基本、陶酔効果がある以外は、有害なのではないかと思う。

では、なぜ子どもは「〜してあげる」では動こうとしないのだろうか?子どもは直感的に、親が、教師が自分に何を求めているのかを見抜く。そしてその道を進むと大人たちが勝ち誇った顔をし、「さあ、感謝をよこせ」と要求してくることも察する。手のひらで踊らされることに気づき、アマノジャクとなる。

子どもは親に、教師に驚いてほしい。自分の成長に。昨日できなかったことが今日できるようになったことに。赤ん坊の頃、初めて立ったり、言葉を発した時に手をたたいて驚いてくれたように。
なのに「〜してあげる」は、大人の期待通りに動けと要求される。期待が先にあるということは、驚かない。

「〜してあげる」の通りにしても親や教師は驚かないことを察した子どもは、つまらなくてアマノジャクになる。手のひらの上で踊らされることを拒否する。そして大人たちは「〜してあげたのに!」と恩着せがましく怒る。子どもはもともとそれを望んでいないのに。驚いてほしいだけなのに。

「〜してあげる」は、子どもを観察するゆとりを奪う。「〜してあげたら、子どもは何て喜ぶかな」とワクワクする。「〜してあげたら、子どもは喜んで勉強してくれるんじゃないか」と期待してる。その期待が、ワクワクが強すぎて、子どもが見えなくなる。予期どおりの反応を示す想像だけで目が曇る。

子どもはすぐにそれを察する。親が、教師が自分の思いつきにワクワクして、自分たち子どもの様子が見えていないことを察する。「あ、大人の思惑通りに動かそうとしているな」と察して、逃げる。反抗する。思い通りになってたまるか、と。何しろ、子どもは大人の「意外」に出て驚かしたいのだから。

子どもは親を、教師を驚かせたいのだから、子どもが大人の「意外」に出て驚く、そんな構造を用意すればよいのだと思う。手伝いしなくていいと心構えしておいて、たまたま子どもが手伝いしてくれた時に驚く。翌日もやってくれたらなおさら驚く。時に休んでも、またやってくれたら驚く。

すると、お手伝いが苦にならなくなる。大人を驚かせられるから。毎日やってくれるようなら「あんた、毎日やってくれて偉いねえ。でも、休んでいいんだよ」というと、ますます張り切ったりする。
でも、子どもは気まぐれ。もっと楽しいことがあるとそっちに熱中。それで構わない。それが人間。

お手伝いや学ぶことが苦ではなく、楽しいことであればそれでよい。楽しみでさえあれば、子どもは苦にせず取り組む。苦にせず、楽しんで取り組めばサッサと終わる。何でも楽しんで取り組めるように、大人は驚いていればよいのだと思う。

「~してあげる」は、「私の期待通りに動き、感謝しなさい」という関係性に追い込む言葉。子どもは逃げ出す。反抗する。
「驚く」は、「何も言わないのにあなたは能動的に取り組んで驚かされる。ありがとう」という関係性。心地よく、子どもは前向き能動的に動く。

言葉や態度が関係性を決め、子どもの行動が変わる。「~してあげる」は圧迫。水を圧迫すれば吹き出して逃げる。同じように、子どもも逃げ出す。「驚く」は器。その器の虚(うつ)ろの形に、水がおさまる。子どもは、関係性が作り出す構造の形に行動するもののように思う。

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