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何でもいいから、夢を持つ。

最近は朝食(または昼食)後に近くの神社に徒歩で参拝する習慣がついている。母の病気平癒の祈願もあるが、自分の健康管理の一つとして毎日欠かさず行っている。
今日も行ってきた。快晴。春が近づいてきたんだなと思わせる暖かさ。
参拝を終え、帰り道にふと思った。

私って夢あるんかな。

流石に今更「アイドルになりたい」とかそういう夢は持たないが、今、目標にしてるものって全て“必然”なんだよな。再就職とか痩せるとか貯金とか。
○○がしてみたい、とか、行ってみたい、てのがそういや無いなということに気が付いた。

大学時代、毎日のように遊んでた親友の事も思い出した。今までの交友関係で唯一、連絡手段がある。しかし、私がうつになってから、一度もメールを送らなかった。返信も出来なかった。元気になったら返信しよう、と思っているうちに10年以上が過ぎた。もしかしたらもう番号も変わっているかもしれない。

私にはリアルで会える友達がいない。うつをきっかけに、それまでの交友関係を全て絶ってしまった。もう20年以上会っていない友達もいる。うつが治ってない今、どういう顔で会いに行けばいいんだ、と気が重くなる。あの頃のようには戻れないのは分かっているが、現実を見たくない、というのが事実だ。私だって自分の病気で相手に気を遣わせたくないから連絡を絶ったのだ。別に一人でも遊びに行けるし旅行にも行けるが、本当に一人になったな、と実感した。

空は青かった。殺してやりたいぐらいに。

何故、青空の下を下を向いて歩かにゃならんのだ、と腹立たしくなった。

家についてこの記事を書こうと思った時、そういやSwitchでしばらく遊んでないな、と思い、データを初期化した。近くのゲームショップにでも売ろうと思う。ちょっとした小遣いにはなるだろう。

夢かあ。好奇心の無くなった人間はほぼ死んでるようなものだとうつ1年目で実感したのだが、夢が無いのもまた、人から生きる喜びを失わせるんだなと感じた。

夢や物欲があるから、人間は嫌でも働かないといけないし、夢や物欲があるから人生は楽しいのだ。

とりあえず、何でもいいから夢は持とう。病人の分際で、遊んでる自分や楽しんでる自分に罪悪感を持つのは止めよう、と思った。その罪悪感が自分を追い詰めて人として死に近づけていることに、今、やっと気が付いた。


夢を持とう。何でもいい。些細な事でもいいから。そう思った。


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