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別離の誘惑 4

別離の誘惑 3

 その後、夏織かおりが僕を食事にさそうことが少なくなった。
 そのかわり仕事は前以上に積極的になった。仕事で僕と話すことに楽しみを求めいったのではないか。
 
 夏織が、実家で不幸があり休んでいた時だった。
 部に奈緒美なおみがやってきて、夏織が休んでいるのを知ってさびしそうにいていた。僕が食事に出かけようとすると、奈緒美が話しかけてきた。
「菅原係長。お食事一緒しません」
 僕は快く応じた。二人っきりの食事は初めてだが、そんな気がしなかったのだ。
 
 奈緒美は通いなれた店でなく、僕が知らない店に連れて行ってくれた。それはショートケーキなどを販売する店が、傍らで食堂を営んでいるものだった。ちょっと少女趣味といった雰囲気で、男だけでは到底行けないような店だ。
「夏織さん。この店あまり好きじゃないの。子供っぽい感じが嫌なんだって」
 夏織ならそうかもしれない。でも奈緒美なら似合うとは思う。
「係長。ここで良いよね」
「いいよ。奈緒美さんの保護者になったような気分だけど」
「あら。じゃ係長のこと、これからパパって呼ぼうかな」
「それはないよ」
 そう言ったけど、たのしくてならなかった。夏織とでは、こんなことはないだろう。
 
          *
 
 夏織が奈緒美のさそいを断ることが多くなった。
「私、片づけなきゃならないことが少し残ってるから、先に行ってらっしゃいよ」
 それは口実に過ぎない。忙しいのは事実だが、急いで片付ける必要なものがあるわけはなかった。
 
「夏織さん。私に焼餅やきもちしてんのよ。係長のこと好きなのに言えないものだから」
 そういう奈緒美の言葉がわかるような気がした。
 だが夏織を恋の対象として考えることはできなかった。夏織のことを可哀かわいそうな気はしたけど。
 
 奈緒美とも映画を観に行くことがあった。奈緒美は僕に寄り添って映画を観ていた。悲しい映画では、奈緒美も涙を流した。
 僕は、奈緒美にハンカチを渡した。いとおしくてならなかったからだ。
「私。謙治さんのこと大好き」
 奈緒美が小さな声でつぶく。僕を名前で呼んでくれた。
 
 その半年後、僕は奈緒美と結ばれた。結婚式は身内だけで簡素に済ませた。夏織を見たくなかったのかもしれない。
 奈緒美との一年少しの生活はたのしくてならなかった。こんな幸せが自分のものであることが信じられなかった。

別離の誘惑 5


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