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斬られたことにも気づかないほど、刹那に刀を抜く|電車の席をゆずる術

電車の中で、自分が座席に座っていて、
お年寄りの方やマタニティーなどの身体的にハンディのある方が
途中の駅で乗ってこられた時に、
席を譲るべきか

もちろん譲るべきなのだが、
譲ってっもお年寄りに断られるかもしれない
という、「断られるかもしれない」という意識が働いて
つい、なにもせずに寝たふりして見過ごしてしまいがちなのだが

譲るべきか否かの課題については
別の記事を読んでいただくとして

◼️ついに解決!電車でお年寄りに席を譲るべきか問題!:
https://note.mu/inazzo/n/n556393ec538c
◼️譲らなきゃよかった?電車のひとコマ:
https://note.mu/inazzo/n/nb17c03937a17

今回は、
席を譲るまでに至る思考のプロセス・
席を譲った後の心のポジショニング
について

過去の実践を元に考えてみた

|日本人の特異な〇〇の性質

席を譲る時の空気感が
日本人ならではの引っ込み思案な性質が僕にも備わっていて
勇敢になれる日もあればそのまま引っ込んだままという結果になることもある

世間には、自分だけいいことしている優等生ぶる行動に批判的な目を浴びせる連中がいる

実際、僕も学生時代を振り返ると
どちらかというと学校行事に真面目な奴ほど白けた目で見られてた風土があった(自分の通ってた学校だけ?)

その影響でか
優等生ぶる行動は恥ずかしいこと
のようなレッテルが学校生活で植え付けられて育ってきてしまった

思春期に植え付けられた概念は
10代のうちに変えられたならラッキーで
そうでなければ20代のうちに早めに変えなくてはいけないし、
30代からは凝り固まって早々と思考停止に陥ってしまう傾向がある

僕も、20代はいろんな凝り固まった
反社会的な偏見を矯正していくのに
長い時間を費やした

これは、僕の通っていた学校だけが特殊ではなくて
割と、こういった優等生ぶる行動が恥ずかしいという感覚を持ってる人は多いと思う

|席は譲ったほうが良いに決まっているが…

電車の話に戻すと、
理想を語ると
1駅止まるごとに、ばんばん席譲って譲られての光景が当たり前になる社会になればいいなと思うけど

まだまだ壁は取り除けない現状がある

あきらかなのは、
譲るか譲らないかの選択肢においては、
冒頭にも書いたが絶対に譲った方が良い

譲ることが前提で
どうすれば、身軽に動いて行動に移せるか?
どうすれば、行動後の変な空気感から脱出できるのか?

ある2つのことをクリアすれば
勇気が湧いて重い腰が上がるようになると期待している

|明日から使える!実践!電車の席をゆずる術!!

問題となってる根本を解決するために、
まず、どんな条件が揃えば人は席を譲るのか?
を考えた方が良い

【譲る側の行動条件】
譲った時に断られなければ心地いい=断られる確率を減らす声のかけ方
譲ったあとに他人の目線が気にならなければいい=嫌な空気を打ち破るメンタルがなくても、その場から立去るという選択肢もある
【譲られる人の行動条件】
本当に立つのが好きな人=あきらめるしかないが、その後に変な空気にしないための必殺技を使う→《電車の席を譲る際に使える必殺技
周りの空気的になんとなく断ってしまう人=正当な理由を提示してあげると座りやすくなる

上記を踏まえて、まとめると
相手に正当な理由を与えて、かつ自分はその場からすぐ居なくなる戦術
が身につけば解決するのではないかと思う

譲られる側は単に「どうぞ」と言われて座っても
譲った人が自分の座っている目の前にずっと立たれるとなんとなく肩身がせまい圧迫感を感じてしまう

譲られたのにゆっくりできない
なんていう本末転倒な状況を作ってしまいがちになる

だから、単に席を「どうぞ」ではなくて、
正当な理由をつけることで相手に
そういった圧迫感を感じさせずに譲ることができるのだ

その言葉は
「もう次の駅で降りるんでどうぞ」
「〇〇なんで、どうぞ」
である

もちろん、自分の降りる駅はもっと先でも
「次の駅で降りるんで」と言ってみる

|座席のクッションよりも言葉のクッション

どういうことかを説明しよう

電車の席以外にも何かに対して譲られる人は
「どうぞ」よりも
「〇〇なんでどうぞ」と
なにかひとつの理由をつけられて譲られるほうが承諾をしやすくなるという心理的な性質がある

接客業をやってる人は基本の接客術として教わっている人もいると思うけど
クッショントーク(枕詞)という方法に近い

いきなり本題をぶつけるのではなくて、今日の天気やニュースのトピックなどたわいもない会話から始めるということ

何を隠そう僕も、接客業はアルバイト時代から含めて7・8年は経験していたので
相手から「YES」を引き出すためにいろんなことを試していたことがある
そんな経験を踏まえての言葉である

ただ単に「どうぞ」は「あなたに席を譲ります」で
直球どストレートな言葉に対して、

「次の駅で降りるんでどうぞ」は、言い換えると
「次の駅で降りて席を空けますので座りませんか?」となって
本来の目的のついで感があって相手に負担をかけなくて済むのである

実際に試して成功した事例でもあるのでぜひ
試してもらいたい

|他人は自分が思っているほど、自分を見ていない

っで
この話には続きがあって、
本当はもっと先の駅で降りるのに
「次の駅で降りるのに」って言って
譲ったとに、次の駅で降りなかったら
譲られた人に逆に不快感を与えてしまうのでは?
と思う人がいるかもしれない

そう、

そこで!

電車で席を譲ったあとに、
本当に次の駅で降りてしまうである!

次の駅で降りる人というのは
座席側からドア付近まで近づくことがある

この性質を利用して、
譲った後に次の駅で降りる準備として、
ドア付近でポジションを取ることで
譲られた人から遠ざかることができる

譲られた人にとって
譲った人は、できるだけ早く目の前から消えてあげることが譲られた人に快適な空間を提供できるからだ

いったいなんの使命感があってそんなことまで!面倒くさい!
と思われた方は、もうしばらくお付き合いを!笑

それから、
次の駅に到着したら、
本当に降りる

っでどうするか?

何食わぬ顔して、となりの車両に素早く飛び乗る

それだけ

ほんとうにそれだけ

|真の気遣いとは無色透明で見えないもの

これは実際に僕が実践して、
「おお、これなら誰も違和感を感じることなく、世界は平和のままだ」
と感じて、いつか紹介したいと思っていた方法なのである

譲られた人が乗ってた車両のほかの人たちも、
当然、降りた人がどこにいくかなんて最後まで見届ける人なんて誰もいないし、
そんな人いたら逆に
「駅員さん!不審者ーーーーーっ!!」

である 笑

それから、
となりの車両にいる人たちも、まさかとなりの車両にいた人が移動してきたなんて気づきやしない
新参者として平気な顔してとなりの車両にのりこめば

スムーズに席を譲って(スムーズに席を譲られて)
違和感を感じる空気すらもなく

限りなく無色透明に近いひと時が保たれるのだ

こういうことは気遣いと呼ばれるが、
気遣いは気遣いと分かられてしまっては気遣いではないと思う
真の気遣いは、それと気づかれずに気遣うこと

これを実践することが当たり前になって
さっきの言い方だと、気遣いだと思われないほど当たり前になって
次の駅で譲った人たちが一斉に大移動

そんな光景を一度見てみたい

|僕たちは僕たちなりの脳みそで…

バカな発想かもしれないけど、
マクロな世界のことは賢い人たちに任せて

僕みたいな履歴書真っ白人間(学歴も資格ももたない人間)
もっとミクロで足元を照らして、
つまづきそうな小石を取り除くようなことに

疑問を持ち、解決策を見出して、
少しだけ笑いが増える生活を送りたい


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