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直感を生きる

7月にリリースした*𓍯maishinta music𓅯⸒⸒ が誕生した背景には、僕自身が、これまで以上に内なる声に素直に生きようと思い、それを実行してきたということがあります。

ヒントとなったのは、今週末トークイベントお招きするネドじゅんさんの発信でした。

呼吸法や自分の思考に気づくということを通して、直感の声を聞きやすくしていく(ネドじゅんさんの表現で言えば、右脳意識優位になっていく)、そしてやってきたインスピレーションのままに動いていく。

側から見ていて、僕はおそらく人生の要所要所で明らかに直感を優先して動いているという自覚もあり、「え、もっと直感に従っちゃうんですか?」と突っ込まれる方もいても不思議じゃないんですが、いいんです!!
もっともっと直感的になって。
その仕組みにすら気づいて、意識的になって人生を謳歌してかまわないんです、というのが、ネドじゅんさんを通じて僕の中に生まれた新たな気づきでした。

「その様子をもっとみんなに見せて
内なる声、内なる自然に生きるとき、人がいかに調和的な状態に導かれるのか体現しちゃいなはれ」


そんな振りが生命本体から聞こえます。その言葉を笑いながら受け取っている自分もここにいます。

内なる声、直感、右脳意識、呼び方はなんでもいいんですが、その感覚に従って、行動した時、自分でも予期せぬ能力が発揮されたり、思わぬ出会いがあり、結果的に道が開けていくということをほとんど経験的に知っている部分が、そもそも僕にはあります。

例えば、この学校に行きたいなと思った途端、それまで全くやっていなかった勉強をやり始め、面白いほどいわゆる"成績"もあがり、駿台模試という当時の高校受験の全国模試で、最終的に全国100番代くらいにまでになりました。

その時、外的にもたらされる成績や順位という数字よりも、自分がどんどん開かれていっている、自分の才能を活かしているという実感が圧倒的に面白く、勉強そのものを楽しんでいました。

ただそこで、やり切った部分もあり、その後は受験勉強のような、思考の枠組みによって作られたパズル的な学びに面白さを感じなくなり、より創造的なあり方へと惹かれるようになりました。

そもそも、その学校に行けば自由な時間が増えて(大学受験しなくていい)、音楽に取り組めるというものが最初の動機であり、その過程に受験があった、それは実際にその後、創造性をさまざまな角度から育む土台の一部にもなったのです。
(例えば文章を書く、読むことや、数学の基本的になアイデア、科学というものの本質、音楽を分析的に理解すること、などなど。。)

2015年春、ロンドンに留学することにした時も、当時Tokyo Recordingsという音楽レーベルを友人たちと起業し、軌道に乗ってきた矢先のタイミングに、自分の中の抗いようのない感覚があり、一旦東京を離れ、どこか別のところに行きたいと、その直感に従い行動に移していきました。

この時、僕の中では英語という言葉を自分の中でものにしたい、という感覚も同時にありました。
語学学校に通いながら、1ヶ月半ほど経った時、夢の中でも英語を喋っていて、それ以降、借り物の言葉としてでなく、よちよち歩きであっても、自分の中の英語を使う脳内ネットワークが生まれて、その瞬間に紡ぎ出される言葉として英語を喋るようになりました。
このネットワークが育つにつれて、日本語で考え話す自分と、英語で考え話す自分に乖離を感じ、あ、これはそれぞれの言語的な人格があるんだと、体感しました。
この時の体験によって、外国語を学ぶということは、母国語とは別の人格を創造するというアクティビティであるということにも気がつきました。

翻訳のAIが圧倒的に発達しても、この内なる探究として、自己に新しい人格を作るという意味での外国語の習得は、それを人が求める限り起きるのであろうと考えるに至りました。

そしてこの外国語の習得が、その人にとって霊的な旅における道中である場合、必要な分の能力が必ずごく自然に身につくと思われます。ですので、みんなが英語をやる必要もなければ、外国語を習得する必要もありません。外枠的な思考に合わせずに、直感に従い、その場面が自然と生まれる人には、それを受け止め、楽しんで習得すればいいのです。(はっきり言って楽しんでできることじゃなければ身に付かず、ストレスフルになります。それは生命全体からのお知らせです。そっちじゃないよと、あなたを生かす道はと。)

さて、その新しい人格を使って日々の景色を見渡した時、自分がロンドンに行きたい、英語を学びたいという望みがもたらした次なる望みが浮かび上がってきました。

それは自分の詩を書き、自分の歌を歌いたいということでした。

それに気がついてから、Tokyo Recodingsでその当時行っていた企業CMやアーティストへの楽曲提供の仕事へ心が向かなくなっているわけがわかっていったのです。
ただ音楽を額面的に作りたいわけでなく、自分の内なる声の体現として、音楽を作り歌を歌っていたいというのが、自分の望みであるのだと。

直感とは、言ってみればシンプルな望みです。これをしたい、あれをしてみたい、あそこにいってみたい。なんでもいいいですが、今この瞬間に、パッと指差す方向です。何もしたくない、寝たい、なんでもそうです。(ただ自分の思考が、その望みに一瞬で蓋をしていることもあるので、自動的な思考に気づくことは時に必要です。自動的な思考は、自分本来の望みのすり替えを行うこともあります。ここは僕もとても躓くポイントでしたので、今度じっくり書きます)

こうした直感は、生命全体から私という個体にもたらされている、と最近はよく思います。
それはただ単に自己の欲にとどまらず、何かしら計測できませんが、生命全体の意思であると感じるのです。
ですので、直感に従うと必ず小さくとも大きくともさまざまにシンクロニシティが起きます。思わぬ誰かがサポートしてくれたり、また誰かが一見嫌なことを起こし、あなたがあたかも直感に従うよう演技してくれているような状況が生まれたりします。

ネドじゅんさんは、右脳意識は生命本体、さらに地球生命圏というものからのフィードバックを反映しているとも語っていますが、僕もそう思います。

これまでの社会のあり方が行き詰まり多くの人が新しい生き方を探っているように思われます。
AIを含めた新しいテクノロジーの発展により、今のままの教育や思考のあり方は全く有効でなくなってしまうということもみなどこかで気づいていると思います。

その時、人はどう生きるのか。

その答えははっきり言って、今の時代を共に生きる私たちにはきちんと備わっています。

生命全体の声を聞けば、”左脳過剰"という思考による解決を求めすぎることの限界性、二元論的な古典科学の限界を知り、人本来の自然を思い出していくという時に、巨大なサポートシステムとしてAIや最新テック、あるいは新しい芸術や宗教色のない本質的な瞑想や呼吸法が活躍する。

そんな未来像が浮かび上がってきます。

僕らの音楽も、そうした生命全体が望む方向に向かって吹く風のように、
人々の意識に響いてく存在であると感じています。

Maiに出会い、HOHOEMI という詩が僕のところにやってきて、この7年間で生まれた300曲は、ただ喜びのままに、作りたいときに作りたいだけ作ってきました。

直感に従いそのように作ってきた作品たちが、今度は人々の中に、新しい風を吹き込み、これまで思い込んできた思考や感情を一度クリアリングし、大人になって改めて赤ちゃんとなって、右脳意識優位になって、楽しさや幸福、喜びを自ら選んで生きていくことを、無条件の愛の響きで、見守るような存在になってほしいと、今、僕は望んでいます。

これは、僕自身が、この7年間、音楽たちが"私"を通り抜け、体験したことそのものです。まさに意識のクリアリングが行われた形跡として作品があると言っても言い過ぎではありません。


さて、このノートそのものが、今朝方やってきた直感に従い生まれたものです。朝の時点では、「直感」についてnoteに書くという望みでしたが、これを今、書きながら、その望みがもたらす景色が、自らの文章を通して知らされる。そして新たな望みが認識される。このように数珠続きにやってきます。その流れに抵抗しないで、止めずに流すと、1日の中に新しい1日があるようなとても爽やかな心持ちになります。

これをしたいと望みが来たとき、必ずそれを実現するエネルギーもあなたに注がれていきます。そのままに動く。道は向こうから開く。

*𓍯maishinta music𓅯⸒⸒が右脳意識、直感に従い生まれ、自分が本当にやりたかったことと、生命全体にも貢献することが重なり、"私"であり、"私たち"の意識でmaishinta musicを立ち上げることができたことは、深い喜びなのです。

2023.9.25
酒本信太

・イベント情報
2023年9月30日(土)東京・広尾&オンラインにて、ネドじゅんさんをお迎えしてトークと音楽のイベントの開催が決定いたしました!
詳細はこちら↓

・8th MAY School 調和を生きる学校
Art・Technology・ Natureというテーマを統合して扱う。
感性と知性が、手を取り合い、人間の本性たる自然を生きる時、そこには調和の響きが発せられる。
その響きに共鳴し、世界が自ずと調和へと導かれていく。


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