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うたの風景

歌が聞こえる。

それは、果てしない暗闇の底から響いてくる。

その歌から耳をふさぐことはできない。

耳を塞ごうとすればするほど、それは、私の耳の中でより大きく、深くこだました。それは心臓の真ん中から響いてくる。命そのものの歌だから、私には、聞こえないふりをすることなど到底できなかった。

だからと言って、その歌が何を意味しているのかも、私に理解できそうにもなかった。けれども、夢の狭間で、あるいは、空白の時の中で、その歌があたかも聞こえないように、私を包み込み、世界に溶け出していく時があった。

そんな時、私はもう、歌の中に生きていた。記憶が未来からやってくるような感覚や、世界への圧倒的な信頼、蝶が古来から口ずさむ言葉の節々、カシの木の声色、闇の中に住まうキュートなモンスターたちの姿、あるいは、小さな星にすむ私たちの古い友人、いずれの存在たちがくっきりと見えたものだ。

それは、7歳ころまでに自分が住んでいた世界と透明な通路で繋がっていた。だが歳を重ねて、その透明な通路を見つけることは、目を凝らしたところでうまくいかないことが多かった。むしろ、その透明さは、目を見はる、その束の間に、見えたきた。私の眼差しが透明になれば、自ずとその光のわずかな揺れを見つけることができた。それはちょうど、行きつけのレストランの壁に落ちた揺らぐ光と影に、友の姿を見つけるようなものだった。

見える、見えないという二つの世界の壁は、あるとき、自分自身が作り上げていることに気がついた。人の意識に段階、あるいは、状態を認めよう、観察しようとする意思が、その壁を強固にしていた。

だがそんなものは幻想であった。どんな瞬間も、私たちは歌の中を生きていた。そのことに気づくことだった。世界は初めからとやかなるほどに溶け合い、命は互いに協奏していた。その圧倒的な事実を前にして、私は、素粒子のダンスを思い出さずにはいられず、宇宙の限り無さと私の個体の小ささが、意外な尺度で、キュビズムの画のように、ムギュッとすれば同じものだと、わかってしまった。

そんなわけで、私の中で、奇跡と奇跡でないものの境界は愉快にも溶け去った。午前4時の暗闇のなかに、ともる三つの街灯の温度を明け方に感じることができる。

その記憶にない奇跡の連続に私は、目を見開き続けた。

制作日記 by Shinta Sakamoto

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