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絶対善、善のイデアはあるのです

久しぶりでの投稿となります。今回は「イデア」について書いてみたいと思います。
一般的には「イデア」と言うものはなかなか理解し難いものであると考えられています。確かに善のイデア、美のイデア、自由のイデアなどなどのイデアを「これである」と明確に示したものはなかなかありませんから、そもそもイデアなどないのだと考える人たちもいます。
しかし数学の世界ではたくさんのイデアが知られているのです。その一つが三角形の定義です。本来、定義をするとはイデアを明確に言葉にすることを言います。例えば善のイデアを明確に示すことを「善を定義する」と言うのです。ですから数学で言う三角形の定義を哲学的に言えば三角形のイデアと言うことなのです。そしてその三角形の定義とは「内角の和が180度」と言うことです。つまり三角形のイデアは「内角の和が180度」と言うことなのです。

三角形と言ってもいろんな形の三角形があります。正三角形や直角三角形や二等辺三角形や鋭くとがった三角形や、つぶれたような三角形などいろんな形の三角形があります。それらすべての三角形に共通して必ずあるもの、内包しているもの、それが三角形のイデアと言うのです。そしてあらゆる形の三角形に共通して必ずあるもの、それが「内角の和が180度」と言うことなのです。これが三角形と言う言葉の意味でありイデア、本質なのです。

本質とは「それ」があるからそれと言えて「それ」がないならばそれとは言えないものを言います。つまり三角形の本質は「内角の和が180度」があるから三角形と言えて「内角の和が180度」がないならば三角形とは言えないものなのです。あらゆる全ての三角形は「内角の和が180度」であるものを言うのです。そしてそれは三角形以外を示すことはありません。「内角の和が180度」は三角形だけにあるものであり、他の対する角形にはなく絶えているものなのです。ゆえにイデアは絶・対なのです。
このようにイデアとはそのものの本質であり、イデアはそのもの以外には絶対にないものなのです。三角形のイデア「内角の和が180度」は三角形にしか存在しないものなのです。ですから三角形のイデアは絶対三角形とも言えるのです。
また言葉の前にはまずイデアが在るのです。三角形のイデアが先にあったからこそそれに名前をつけ三角形と言う言葉が出来たのです。つまり言葉があると言うことはもうすでにイデアが先に在ると言うことであり、それはつまり言葉の数だけイデアはあると言うことなのです。何か「違い」があるから分けるためにそれに名前を付けるのです。常に先にあるのは「違い、差異」なのです。その違い、差異がイデアなのです。

分かり易く言えば、例えば赤と黄色の間に何か赤でもなく黄色でもない何か違う色が存在しています。そしてその違いに名前を付けます。それは庭の橙の実の色に似ているから「だいだい色」と言う名がつけられ言葉が出来るのです。このように言葉の前には必ず「違い、差異、イデア」があるのです。違いがあるから分けるために名前、言葉が必要となるのです。このように言葉の先にあるのは「違い、イデア」なのです。つまり言葉があると言うことは必ず先にイデアはあると言うことなのです。

ですから善と言う言葉があれば必ず善のイデア、絶対善はあると言うことになるのです。「絶対善など絶対ない」と言う人たちは言葉の意味が分かっていないのです。言葉の前には必ずそのイデアが在るのです。

また例えてみれば犬の本質、イデアとはブルドックやセントバーナードやチワワなどいろんな種類の犬がいますが、それらすべての犬に共通して必ずあるもの、つまり「それ」があるから犬と言えて「それ」がないならば犬とは言えないものを言います。そしてまた犬だけにあり他の動物には絶対に無いもの、つまり犬のイデアを見つけることは困難を極めます。ですから犬のイデアはまだ見つかってはいないのです。
このようにイデアとはその言葉のあらゆるものに共通している本質を言うのです。あらゆる美と言うものに共通してあるものが美のイデアであり、あらゆる善いものに共通して必ずあるものが善のイデアであり、あらゆる全ての三角形に共通してあるものが三角形のイデアなのです。

まとめれば、イデアとはその言葉の本質であり、そのイデアは言葉より先に存在するものなのです。ですから言葉があると言うことは必ずそのイデアはあるのです。そしてイデアは絶対なのです。例えば善のイデア、絶対善であれば善の対である悪が絶えている状態を言います。ですから善のイデア、絶対善には悪は一切ありません。悪が一つでもあればそれは矛盾であり絶対善とは言いません。イデアは絶対でありこれを一つの「真理」と言うのです。そしてイデアとは不思議なもので「原始そこに在るもの」なのです。イデアは私たち人間が考え作るものではなく「原始そこに在るもの」であり、それは発見するものなのです。
このようにイデアの意味がよく理解できれば、言葉があれば必ず先にイデアが在ると言う事が分かるのです。ですから善と言う言葉があれば善のイデア、絶対善は必ずあるのです。そして私は間違いのない善のイデア、つまり絶対善を見つけたのです。


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