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少年の心は武器になる。

こんにちは。グラフィックデザイナーの安村シンです。

デザインを仕事にするぞと思ってから今日まで、ずっと思っている事についての話をします。

少年というのは、幼い頃のこと。
小学生くらいまででもいいし、中学生くらいまででもいいのだけども、
大人になると記憶ごと忘れてしまいそうな少年時代の感覚や記憶が、大人になってからも武器になると信じています。

きっかけは2つ。

一つは、専門学校でデザインを学び始めて知った、サントリーのパッケージデザイナーカトウヨシオさんのエピソードから。
「なっちゃんの秘密」という本にも書かれているお話です。

ーー(うろ覚えですが、雰囲気で話します)ーー

当日の自動販売機にはほとんど無かった「オレンジジュース」の開発にあたり、コンセプトの立案会議が行われた。「美味しかった思い出」をブレストした時に出て来たのが、「小さい頃に田舎に帰った時に、おばあちゃんが出してくれたスイカがおいしくて、」という話。これがチームで共感を得て、そこから発展して生まれたオレンジジュースのコンセプトは「田舎に帰った時にだけ会える女の子」となり、名付けられたのが「なっちゃん」だ、という。

このエピソードを知った時に、ぼくが驚いたのは「小さい頃の記憶」がもつパワーの強さ。

自分が体験した事がないのに、なぜだか分かる。共感できる。そしてなんだか微笑ましい気持ちにもなる。ポジティブな印象に包まれる。

大人が子供に対して「良かったね」と言う感覚というよりは、郷愁の念と共に「いいなぁ」という共感だ。
たぶん今でも、どこかに残っているのだろう。

小さい頃に好きだったこと、
感動した思い出、驚いたこと、ショックだったこと、嫌だったこと、いったい幾つ自分は思い出せるだろうか。

その頃の感性は、原始的かもしれない。
だけどだからこそ強い。

もう一つのエピソードは、同じく専門学生の頃だったと思う。2才児と砂場遊びに付き合わされた時のこと。

友人に誘われて、その姪っ子(当日2さい)の子守をしてるから、と何故か呼び出された。

外に出て遊ぶか〜と公園にいくと、その子は砂場で遊び始めた。

何かを形作るわけでもなく、
ただただ延々と、水をかけては染み込ませて、また水をかけては染み込ませて、キャッキャと喜んでいる。

初めは何が何だか分からなかったけども、何を楽しんでいるんだろう?と考えてみた。

すると段々わかって来た。
姪っ子が楽しんでいるのは、水が染み込むことじゃない。

「みずをかける」
「もとにもどる」
その表面の変化を、楽しんでいるらしかった。

大人になると、
砂に水をかけたら、染み込んで乾いたんだろうと言葉で理解する。理屈で理解する。だからそれほど驚かない。

子供にとっては、
砂という漢字も知らないし、
砂の性質も分からないし、
水が乾くとか、染み込むとかの動作もよく知らないだろう。

だからこそ、
目の前で起きている現状を、
テクスチャーの変化を、
ただひたすらに楽しむことが出来ているのだ。

カッコ良く言うと、
感性が喜んでいるとも言える。

視覚的にも、砂が一瞬だけ色濃くなって、すぐ戻る。変化が起きている。
触覚的にも、つめたい水を持ってきて
砂に落とすと、それを砂が受け止める。
聴覚的にも、たしかに水がかかった音がしていた。
なのに、すぐに何も無かったかのように、砂は元の色に戻る。

この一連の流れを楽しんでいるんじゃないかと感じた。
元の色に戻った瞬間に「キャッキャ!」と言って、もう一度、と繰り返していたからだ。

僕にとっては、
この遊びを楽しむには
理屈が邪魔をしている。

「子供ってそういうの好きだよね〜」と斜に構えている場合ではないと思う。

(ちなみにジャンケンを100回くらいさせられた時には、何が面白いのか分からなかった)

これら2つのきっかけから、
子供の感性は侮れないし、それは大人になっても捨てる必要はないし、全くなくなってもいない、と思うようになった。

ざっくりした例えで言うと、
「ゲージュツ的な人が子供っぽい振る舞いをしている姿」を思い浮かべたら、なんとなく「子供っぽい人の感性は違うわ〜」みたいに思えるかもしれない。

しかし実は、
これは意識すれば、多少は取り戻せるものだ。

メディアアーティストの落合陽一さんが何かの動画で話していた。
何かに感動したときは、まず「すごい!」と感覚的に驚く。それから、後でなぜそう感じたのかを言語化する、という趣旨のことを。

すごい!とか、かわいい!かっこいい!みたいな感嘆のコトバは、瞬発力がすごい。原始的だし、それこそまるで子供のようだ。

これは、ある意味では「感性の反応をキチンと形にしている」とも言えるかもしれない。

もちろん、もう大人なので、そこでその対象物に向かって走っていって、ピョンピョンと跳ね回り感動を体験するようなことまでは・・・僕にはできないけれども。

僕自身も、似たような経験がある。

僕は大学で経済学を学んで、卒業してもどこにも就職ができず(涙)、1年くらい悩んだ末にデザイナーなら出来るかもしれないと思って
それからデザインの専門学校に通った経歴があるのだけども、
専門学校にいって一番に驚いたのが、使うコトバの違いだった。

そもそも18歳の人達と同学年になった23歳の僕。その上、経済学部でカチカチな言葉で固められていたようで、会話の一つ一つに毎回、大きなギャップを感じていた。

一番の差が、自分以外の人たちが「感覚的に話す」ことができる事だった。

絵を描くのが好き、アートが好き、デザインがしたい、そういう思いで専門学生に来ている人たちだからかもしれない。より感覚的に、いろんな物事に向き合って、面白い!とかかわいい!とか言う姿を見て、じぶんも見習わなきゃなぁ、と反省したものでした。

それから随分長い間、「感覚的に話す」ように心掛けて過ごしてきたように思います。

(後々、仕事の上で「論理的に話す」能力の大切さにも直面するのですが、それはまた別の話)


感性に蓋をしないために、
自分の心が反応する方へ。


僕の好きな漫画「宇宙兄弟」で、シャロンという人物が主人公に伝えた言葉を思い出しました。

迷った時はね“どっちが正しいか”なんて考えちゃダメよ、日が暮れちゃうわ。
頭で考えなきゃいいのよ。
答えはもっと下。
あなたのことなら
あなたの胸が知ってるもんよ。

“どっちが楽しいか”で決めなさい。

ワクワクする、みたいな言葉は
一見、子供染みて感じるかもしれません。

でも、これが持っているパワーを僕は信じています。


めちゃめちゃ緊張する会議やプレゼンの前に、
これからワクワクする事が待っている、と信じてみると、意外と上手く行ったりする事もあったりします。

気持ちの持って行き方で、
自分の言動も行動も変わる。


少年の心は武器になる。


新年を迎えた皆さまに、
この言葉を贈ります。
よかったらどうぞ、受け取ってみてください。
楽しい事が、たくさんやってきますよう!

ちなみにカバー写真は「チQ展」を観に行ったときの、宇宙ミュージアムTeNQの入り口の壁の絵より。

(最後までお読み頂き、ありがとうございました!)

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