ナポリタン

先日、実家に帰った時の話をしましょう。週末に実家に行くのがなんとなくルーティンになっているんですけど、まあ絶対じゃないけど、だいたい、という。

年老いた両親に昼飯を買って行ってあげることがあります。パンとかサンドイッチとかの軽食を。他にもパックのうどんとかオムライスとか。

でこの前、母にはナポリタンを買って行きました。皿に盛ってあげれば良かったんですけど、面倒だし、そのままパックのまま出した。

そしたらまあ案の定「多い」ということで、「半分だけでいい」と母。小分けにするための器をキッチンに取りに行きました。と思った。

そしたらグラス、フツーに麦茶とかを入れるグラスね。あれを取ってきて、「あ、お茶でも飲むのかな?」と思ってたら、そのグラスにパックのナポリタンを箸でよそい始めた。

え?え?何?お母さん何やってんの?

となりますよね、フツーに。なんでお皿に取らないの?と。

こんなに食べれない➡️小分けにしなきゃ➡️器が必要➡️でグラス、という論法なんだろうと思うんです。最後の「器」に適材適所を選べなかったんですね、きっと。これが認知症というやつなのかもしれない。

他人にこのことを話せばただの笑い話ですよね、恐らく。私だって、他家の人から「先日こんなことがあったんだけど…」と聞かされたら笑うと思う。

でもまだ私には身内の、しかもあの母のそういう行為を、笑って済ませる余裕は微塵もないのです。

人間的にできてない、優しくないと言われればそれまで。確かに未熟だし、大きな愛で包み込む寛容さが備わっていないことに、自分でも自分にイラ立つ。

ただ、私にはあの母との歴史がありますから。その歴史を知らずして、「狭量」ともし言われても、それを素直に受け入れるのは難しい。

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