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CJって何? 問われて”Challenging Jijiiこそ目指す生き方”なんて答え…

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CJって何? 問われて”Challenging Jijiiこそ目指す生き方”なんて答えるが、実は甥っ子の娘と雑談していて”チャラいジジイだ”と言われたのが事の発端、 駐在員生活計9年、帰国後47都道府県を車で制覇、その他思い出すまま徒然に筆を進めます、是非お付き合いください

最近の記事

ポルトガルでサパテイラ プレパラーデ

 お勧めの美味しいポルトガルの食べモノ続編。  借りた部屋のオーナーがとても親切な人で、マンションの周りにある地元の人が通うレストラン、テラスが素敵なカフェや鳥の丸焼きの店など色々と教えてくれた。その中で、安くて美味しくボリューム満点、何よりビールがグラスに泡無しでなみなみと注がれてくるのがうれしい店のお話。  前回の投稿で紹介した定番のカメノテ、海老の塩茹と自家製のしっとりとしたパンをパクつきながらビールを楽しんでいると主役が登場する。因みに写真のグラス、この店のロゴが

    • ポルトガルのカメノテとウナギ

      カメノテと呼ばれる食べ物をご存知だろうか。貝の一種で、見かけは亀の手首から先を甲羅から切り離した様な形をしており、これが海辺の岩肌にびっしりと張り付いているのを想像すると食欲も失せようというシロモノ。ポルトガルで初めて見た時はぎょっとしたが、日本でも食される海産物だと聞いて二度ビックリ。  リスボンで住んでいた町では当時日本人はたぶん我々家族(私と妻、高校生の息子)だけで、地元の市場へ行くと店の人たちが面白がって色んなものを勧めてくれる。魚屋で”日本人は魚を生で食べるらしい

      • ポルトガル 日に客2組だけのレストランと赤ワイン

         仕事で関係先を訪ねた時の素晴らしい経験、そして、今でも忘れられない赤ワインと出会った記念すべき日の話である。  朝からの打合せが一段落してちょっと遅めの昼食時、訪問先のオーナーが素敵なレストランを予約してあるから行こうと言う。道すがらの説明によると、ワイナリーを営んでいるその地方の資産家が経営している店で、午餐と晩餐それぞれに一組の予約だけを受けるのだそうな。  どんな店なんだろうと期待して到着すると、葡萄畑の中に普通の倉庫のような建物がポツンとあるだけ。促されて中に足

        • 人の振り見て我が振りを・・・

           ちょっとした個人的な記念日やイベントに、時々利用する寿司屋へ妻と出かけた。  そこに現役を引退したと思しき男性が元の同僚らしき二人と来ているのに出くわした。仕事がらみの話がほとんどでどんどんボルテージが上がり、小さな店内のこと、聞くともなしにその声が耳に飛び込んで来る。途中、聞き覚えのある名前が話題に上ったような気がして、思わず妻と顔を見合わせた。  海外ビジネスで成し遂げて来たこと、問題を解決するために配下の日本人駐在員を叱咤激励したことなどが語られるのを耳にしながら

        ポルトガルでサパテイラ プレパラーデ

          ポルトガルの高速道路での出来事

           長期連休が始まる前夜、翌日からの予定をアレコレ考えながらリスボンの自宅へ通じる高速道路上にいた。途中で、同じくリスボンへ帰宅する同僚の駐在員と遭遇したので、先を行く彼の後につけてタンデム走行。  尚、本投稿に関しては、登場する同僚の了解を得てあります。  左に大きくカーブしながら下る追越車線を走行中にそれは起きた。前を走る車に徐々に近づいたその瞬間、突然その車が中央分離帯に激突。先行する同僚はハンドルを切ったが避けきれずに後部に乗り上げるように衝突。その反動で転覆しルー

          ポルトガルの高速道路での出来事

          ポルトガルで処方された痩せ薬

           先日ネットニュースを見ていたら、体内の脂肪を排出して体型をスッキリさせるという薬が日本で手に入るようになったそうだ。そういえば、ポルトガルで似た様な薬を飲んで苦戦した経験があるので、その話を一つ。但し、これは20年も前のことで、日本での新薬とは全く別物である・・・念の為。  ビール大好き人間にとってポルトガルは楽園、ビールが飲料水より安いかほぼ同等、日本からの出張者が夕食時にミネラルウォーターを頼もうものなら皆でビールを勧めることは当たり前、当時は会社の昼食時にも冷蔵庫に

          ポルトガルで処方された痩せ薬

          到着ロビーのゲートへは行けません!

           半世紀以上も前にTV放送されていた”少年ケニア”という番組をご存知だろうか? 日本人の少年と白人少女がケニアのジャングルで色々な困難に遭遇しながら、それを克服して成長していくといったストーリだったと思う。そして、自分に長男が誕生した時になぜかその主人公の名前が真っ先に浮かんで、そう名付けてしまった経緯がある。  ポルトガルに駐在していた約20年前の夏にケニアへ行こうと思い立った。妻と次男は帯同していて、当時長男は日本で学生生活を送っていたが、この旅行先のケニアに一番ゆかりの

          到着ロビーのゲートへは行けません!

          ポルトガルに自分の名が付いたコーナー 

           着任して数ヶ月、移動手段として与えられたカンパニーカーの左ハンドルにもだいぶ慣れてきた金曜日の夜、勤務場所から約150キロ離れたリスボンへ戻り日本食レストランに駐在員が集合する恒例行事に間に合うよう、高速道路に乗る前の暗く曲がりくねった田舎道を走っていた。  コーナーを曲がると突然目の前にヘッドランプが現れ、身体がとっさに反応して左にステアリングを切ったが、なんと対向車も同じ方向へ避けたので完璧な正面衝突となり、更にそこへ相手の車の後ろからSUVが追突してもう一度ドンと来た

          ポルトガルに自分の名が付いたコーナー 

          ポルトガルへの渡航禁止勧告

           その年の10月1日付ポルトガル着任予定で準備を進めていた私は、出張先のホテルの朝食会場でTVに映し出される光景を見て我が目を疑った。それは飛行機が高層ビルへ立て続けに突っ込むあのシーンだった。そう、2001年9月11日の翌朝12日(日本時間)だったのである。  世界が騒然としたこの出来事は赴任スケジュールへ影響を与え、会社からは海外渡航を当面見合わせる様通達されてしまった。しかし、現地での着任後の予定は変更が難しいものもあり、現地側と共同で交渉の結果約2週間遅れでの渡航が決

          ポルトガルへの渡航禁止勧告