新たなものが生まれる皮肉の話。

こんばんは、焼却炉です。この前買った金木犀の香水がいい匂いなので、早急にロールオンタイプのアトマイザーを手に入れたい所存です。

最近知った曲があって、その曲について今回は話を書いていこうと思います。


居なくなってしまった人。

今でこそK-POPの曲とかアイドルの曲も聞くけれど、私の小学校高学年から高校にかけての音楽の履歴を構築していたのはボーカロイドの楽曲だった。それこそゲームセンターでボーカロイドの音ゲーをやりまくって衣装をゲットするのが楽しくて仕方なかった。そんな中で私の大好きなプロデューサーの方は何人も居るが、特にこれから話すその人の曲は繰り返し繰り返し聞いていた。転がり続ける女の子の話も、終末の世界で踊る話も、不幸が繰り返される話も、裏も表も愛す話も。でも誰も知らない童謡の話を最後にその人の曲が聞けなくなるなんて思わなかった。

名前を出してしまうと、何だかその人を汚してしまうような気がするので出さないが、報せを聞いたときは泣いた。新しい曲が来て、また曲を作ってくれるのだと思って。それが最後になってしまうなんてちっとも思わなかった。

何となく心がぽっかりと空いたような気がしたまま、最新曲を聞くとこれが最後の曲だと思ってしまって聞けなくて、途中で聞くのをやめてしまうこともあった。泣きながら何とか最後まで聞いた。

それからもう何年経ったのか、旅に出た日付の時はトレンドに上がることもあったし、その度に思い出したけど、前みたいに深い悲しみに沈むことも無くなった。悲しいとは思うけど。

つい先日、その人が曲のMVに付けるイラストの集合体のサムネイルの曲を見つけた。それは旅に出た年に作られた曲で、逆によく私はここまで気づかなかったなとも思うけれど。なんとなく聞いてみて、良いなと思った、思ってしまった。それはその人が旅に出たからこそ出来上がった曲で、今も旅に出ずに居てくれたら生まれなかったもので。コメント欄にもなんという皮肉なことだろうか、そう思う人達がいて。この曲を作ってくれてありがとうという気持ちと、でも失ってしまった悲しい気持ちとかが綯い交ぜになって、混沌とした気持ちに久しぶりになった。失わないと手に入らないものがあるという道理をまざまざと見せつけられた。

その曲の叫びが耳にこびりついて離れない。その時の悲しい気持ちを代弁するような叫びを、どう受け止めればいいのか未だに分からないのだけれど、美しいことだけは確かで。人は記憶の中で生きると言うから、その美しさに多くの人が触れて、どうか旅に出たあの人の事を知っている人が増えれば良いなと思う。

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