前向きな希死念慮。

こんばんは、焼却炉です。
今日は友人と話している中で思ったことをつらつらと書いていきたいと思います。よろしくお願いいたします。


自殺願望≠希死念慮

このまま何事も無ければ40歳で死のう。
何となくそう思ったし、その考えがいたく腑に落ちてしまった。今がしんどい訳でもないし、むしろ色々なことが出来て楽しくて、はたから見たら充実していると思われているかもしれない。それでも私は40歳で死ぬ。残り時間は後20年を切った。

ただ自由になりたい。今の私を構築している関係性や環境、自分の体から、自由になりたい。生来の飽き性だから、自分自身にも、そして周囲の人に対しても、進展、進歩が無いほどどうでも良くなってしまう。だから痩せたし、色んな化粧を試すし、色んな服を着るし、色んな友達と遊ぶ。でもそれには限度があって。私を私として周囲が認識すればするほど別の人間になりたい意識が強まっていく。多分無意識のうちに、私に与えられた役割に疲弊してしまっているのかもしれない。

いつだって思い描くのは別の強い人間になった私で、思う度に今の身体に押し込められていることが窮屈に感じてしまう。

だから自分で期限を切ることにした。

後20年も無いと思えば、やらなければならない事が増えた。やりたいこともある。
時間の無駄を気にするようになった。だって予定通りに行けば私は死ぬまであと20年もないから。
人間関係への執着も薄くなった。後20年もしないうちに死ぬのであればあまり気にしてもしょうがない。私に有益なことをもたらしてくれない人に残りの時間を使いたくない。
行きたいところには知らないところも1人でも行くようにした。知らない所の方が逆に息がしやすい気がした。

期限を切ったら逆に意欲的になった。だからきっと私にとってこの生き方は正解か分からないけれど間違ってはいないのだと思う。後は自分が死んだ後の処理代と、好きなことをするための費用を稼げばいい。出来ることなら国内で安楽死制度が導入されればいいのだけれど、期限までにその制度は導入されるだろうか。

今年は色々な事をしたから来年は集中して取り組むことを決めて他のものは全て捨てていこう。私を犠牲にするものは何であろうと断捨離してしまおう。

ということで良いお年を。

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