長崎原爆資料館に行ってきた

長崎原爆資料館に行ってきた

普段別に特段文を読みも書きもしない自分が、こうやって拙筆をとったのは、とってしまったのはどうしてか多少なりとも考えていた
資料館を後にして時間を持て余していたからなのか、かなりの衝撃を受け皆にも知って欲しいと突然目覚めたのか・・・理由は定かでは無いが、今事実として重要なのはこれを書き始め、書き終えなければという強迫観念じみた感情があることだけなのだろう

さて、はじめに宣言しておくと、自分は特に原爆に対して思いが深くも浅くもない、少なくとも自分の周りでは一般的な人間だった
小学生の授業で凄惨な写真にそれなりには衝撃を受けたものの、思春期に面皰が並ぶとそれを「被爆者」と揶揄われ、それに対して特別な事は思わない、そんな人間だった
8/9にテレビがついていて黙祷の音声が流れたら自分も黙祷し、少なからず思いを馳せるが、寝過ごしていたり仕事におわれていたら特に何も思わない、そんな人間だった

今回長崎原爆資料館を訪れたのも、正直なところかなり軽い気持ちだった
あるいは映画「バービー」の炎上など腹を立てた自分に芯を通すための義務感からか、あるいは新しく長崎県民となったなりの勉強のためか、あるいは8/9,11を何もせず過ごしてしまった罪滅ぼしか・・・いずれにせよ、その日の昼に「長崎 観光」の検索結果のひとつに出てきたから行った、というのが動機のひとつという、なんとも軽い気持ちで足を運んだのであった

結論からいうと、かなりの衝撃を受けた
やはり紙と実物は違うからか、社会ではなく原爆だけを学んでいるからか、自分の精神年齢が成熟したからか、理由は定かでは無いが何度も足を止め、涙をぬぐわないといけなかった

感想書こうとも思ったが、仔細に述べても稚拙に極まり、自分の中でも何がそんなに琴線に触れたのか皆目見当もつかず、感想を書かないと言うより「書けない」という感想が正しい・・・あるいはこの気持ちこそがこれを書かせた動機かもしれないが・・・
強いて言えば、溶けたロザリオ、折れ曲がった鉄骨、泡立った瓦、そういったものを実物として見たことで原爆の悲惨さをはじめてリアルに実感でき、先に書いたような痴れ者の自分ですら、唯一の被爆国の一員として、この悲惨さを伝えなくてはいけないという気持ちが確かに生まれた事が一番の感想と言えるかもしれない・・・

初めに書いたように強迫観念じみたものを感じてはいるものの、よくよく考えてみれば書きたいものはこの程度しかなく、その程度をこうして書きたかったのか?と問われるとYesともNoともいえない不思議な感覚である
ただひとつ言えることは、20歳も折り返しを越え老いていく自分で、子供どころか彼女もいない自分ながらに、子供たちの未来のためにもこの「記録」は風化させてはいけないと強く感じたのだった

さて、そんなことを言いながら、これを書いている自分は長崎原爆資料館を後にしたあと、ココウォークのドトールでこれを書いている
当初の予定通りではあるのだが、つまり予定は変わらなかった・・・こんなものを書いてしまうだけの衝撃を受けておきながら、予定は変わらず、自分は日常に戻っているのである
とても非情な言い方をすれば「記録」でしかないから
自分は被曝もしていなければ、戦争も知らない・・・おそらく今を生き、これから生まれるほとんどの日本人は同じだろう
だからこそ、この「記録」にある「想い」を受け継ぐ事は難しく、しかし大切なのだろうと思う
自分も正直寝て起きたら忘れているのかもしれない
明日は覚えていても1ヶ月後は?1年後は?
記憶は風化する。いつまでも覚えられるわけもない
しかし時には思い出し、そしてまた足を運ぶのだろう。そのためにそこはあるのだから

自分はたしかに、今日、長崎原爆資料館に行った

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